リスキリング奨励の落とし穴:「恐怖感」でリスキルを促せるか? 

リスキリング奨励の落とし穴:「恐怖感」でリスキルを促せるか?

19 12月 2023

マーサーアカデミックコラム第10回

リスキリングをどう推進していくのか?

「うちの会社も、物流のオペレーション職はロボットで置き換えられるようになった。余った人員を何とかしなくては。古参の社員はどうしたものか――」

「専務、それなら、わが社もリスキリングに本格的に取り組むべきかと。物流メンバーに新たなスキルを身に着けてもらうことで、違う部署で活躍してもらいましょう!」

今、多くの企業でリスキリングiに対する取り組みが検討されている。事業転換やグローバル化、また、デジタル化に伴い、最近のマーサーの調査でも7割以上の企業がリスキリングの必要性を認識している。

そこで問題となるのは「どのように」リスキリングを推し進めていくかである。特にキャリアのある社員へのリスキリングをどう推し進めていくのかは、多くの企業の悩みどころだろう。

リスキリングのテーマで避けられないのは、個人の「自発的なスキル構築」をどう支援していくのか。そのヒントとなる論文を紹介しよう。Journal of Applied Psychologyに掲載された「金銭的な不安定さや恐怖感が原動力となる『自発的なスキル構築』は、燃え尽きを誘発するか?」iiである。

心理学において、人は恐怖に直面すると、防衛的・逃避的な行動をとることが知られている。例えば、試験日の当日におなかが痛くなる、のようなことである。一方で人は、恐怖に直面すると、それを打ち破ろうと自発的な行動を起こすこともある。例えば、「いじめにあったので、負けないように空手を習う」などである。本論文では後者の「自発的なスキル構築」に着目をしている。

また、本論文では「解雇されてしまう」「医療費が払えなくなる」といった恐怖感と自発的なスキル構築に着目をしたことが興味深いiii。主に検討したのは以下の3つの点と2つの理論である。

本論文~自発的なスキル構築~検討の焦点

まず、本論文では3つの仮説を中心に検討しているiv
  • 仮説1
    金銭的な不安定さ、またそれにより生じる恐怖感が「自発的なスキル構築」を促進する:不安・恐怖があると、職を失ったとしても再雇用してもらえるように資格取得に励んだり、行動を変えたり、大学に再入学して新たな分野を学習する

  • 仮説2
    金銭的な不安定さ・恐怖感は、「自発的なスキル構築」を促す一方で、人を「燃え尽き」させかねない:人のモチベーションの源泉として、外発的動機(金銭、強制)と内発的動機(自発的に生まれてくるもの)が知られている。ここでは、外発的動機で、かつ、アメとムチでいう、ムチによって自発的なスキル構築となった場合、燃え尽きることにつながりやすい

  • 仮説3
    印象操作(自分をよく見せたい)動機が強い人は、「自発的なスキル構築」と「燃え尽き」の関係性が強くなる:例えば配置転換になったことで、家族・部下・同僚に馬鹿にされたくない、資格を新たに習得することで周囲に認められたい、上司から高い評価をもらいたい、などの外面の印象操作に力を注ぐタイプは、さらにエネルギーを費やし燃え尽きやすくなる

2つの理論: 認知・動機・関係性理論と自己決定理論

上記3つの仮説を検証するに当たり、2つの理論を援用している。
  • CMR theory(Cognitive-Motivational-Relational Theory :認知・動機・関係性理論):ストレス研究で有名なLazarus博士が提唱しているもので、「外部環境をどう捉えるかが、モチベーションに影響し、それによる行動が人の精神的な疲労感に影響する」という考え方である。
  • SDT(Self-Determination Theory :自己決定理論):心理学者のDeci博士らが提唱した理論として知られ、「自分で決めたものにはモチベーション高く取り組みやすい」というものである。
上記の3つの仮説と2つの理論の関係性を図示するとこのようになるv

「自発的なスキル構築」に関する調査分析結果

分析結果viとして下記の内容が得られている。
  • 金銭的な不安定さから生じる恐怖感が「自発的なスキル構築」を促す効果が統計的に有意である
  • 「印象操作」の強い人ほど、「自発的なスキル構築」を行う中で、「燃え尽き」てしまいやすい

企業のリスキリング施策への示唆

本論文の結果から、企業のリスキリング施策に参考となるポイントを確認したい。
  1. リスキル施策のきっかけと恐怖心を煽るアプローチは、「自発的なスキル構築」を促すことにつながるが、強い動機を喚起するものとはいえないこと
  2. 「自発的なスキル構築」において、「自分をよく見せたい」という動機が強い人は、結果として「燃え尽き」に陥りやすくなること

1点目に関しては、リスキルの文脈では、会社からネガティブな情報をきちんと伝えて、スキル構築の自覚を促すことは出発点として問題ない、と読み取れるということである。ただし、恐怖心を煽るだけでなく、スキル構築への動機を強く喚起するような、別の取り組みが合わせて必要であることも示している。例えば、リスキルによるキャリアパスを示す、スキル取得に当たっての褒賞を与えるなどが考えられる。

2点目に関しては、リスキリングにおいて、虚飾を排して「己を知る」「自分を見つめなおす」ことからスタートすることが、燃え尽きさせないポイントであるといえる。自身のキャリアを振り返るワークショップや、パーソナリティーを測定するアセスメントツールの活用なども有効だろう。

最後に、自発的なスキル構築は、動機の種類に関わらずエネルギーを要するものであると論文では触れられている。「スキル習得は自己責任で頑張って。業務に支障なくお願い」と突き放してしまうと、本人のエネルギーが枯渇しやすくなる。リスキリングに成功している企業は、リスキルを経営戦略上の課題ととらえ、組織の取り組みとして推進しているvii。この点、上長やチームメンバーの理解や協力もリスキリング施策の一環として大切な要素であるといえるだろう。

i Re-skillingは直訳すると「学び直し」であるが、企業が従業員に対して新たなスキルを身に付けさせることを指すことが多い
ii 著者による意訳。論文のタイトルは “What Makes You Proactive Can Burn You Out: The Downside of Proactive Skill Building Motivated by Financial Precarity and Fear”
iii 調査はCOVID-19パンデミック初期に実施されている。対象者は米国の大学内43部門の職員1315名である
iv 本論文では厳密には4つの仮説が検討されているが、本コラムでは特に重要な3つの仮説に注目している
v T1~T4の4つのタイミングでそれぞれ調査を行っている
vi 5段階評価の質問票による調査を行ったうえで統計的解析手法を行い、仮説を検証した。検証にあたっては、仮説・理論の枠組みに影響を与えそうな外部因子を排除している 
vii 本コラムでは触れられなかったが、リスキリングを事業戦略上の課題とらえて成功している企業が増えてきている。「AI時代の5つの変化に対応する、従業員のリスキリングを効果的に実践する方法」(ダイヤモンド・バーバード・ビジネス・レビュー誌 2023年12月号)も合わせて参照されたい

監修

著者
盛田 智也
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