ジョブ型雇用で組織を変える意味を問う – 反面教師“日本”をいつまで続けるのか 

25 7月 2023

労働市場への対処としてジョブ型雇用に取り組む日本企業

昨今、日本企業はジョブ型雇用を導入し、組織文化を含む組織・人材マネジメントのあり方を新たに作り上げようと奮闘している。

それは、生産労働人口が2019年にピークを迎え、定年延長・高齢者活用などでかろうじて維持してきた状況が、2025年から本格的に減少を始めることに端を発する。その一つは、労働者の高齢者比率も人口構成の高齢化を受け、60歳以上が2023年時点で5人に1人、10年後には2人に1人となる現実への対応でもある。そうした労働市場の中で、企業は、若手人材の確保などの課題への対応を主目的においてジョブ型雇用の導入を進めようとしている。

しかし、それはジョブ型雇用の導入を目指す際に、意識されるべき課題の全てではないと筆者は考える。

10年以上前に反面教師として世界に紹介されていた日本企業の姿

今から13年前の2010年、Harvard Business Reviewに「A Cautionary Tale for Emerging Giants」(「新興国大企業に向けた警句」(筆者訳))という論文が発表された。表題からは分かりづらいが、その当時にはほとんど見られなくなった“日本企業を分析し、示唆を得るための論文”である。その内容は1980年代に見られたような前向きなものではない。日本企業は「なぜ、グローバル化に失敗したのか」を分析し、その罠に陥らないための示唆を、これからグローバル化にチャレンジする企業に対し反面教師として紹介する内容だった。 

指摘されているのは、以下の4点である。

  1. 「Devotion to the Way(自社Wayへの傾倒)」
    ⇒自社のWayに沿った人材を求めすぎて優秀人材の獲得競争で遅れを取る

  2. 「An Isolated Domestic Market(国際競争から分断された自国市場)
    ⇒分断された自国市場に過剰適応したために海外での市場立ち上げに手間取る、もしくは躓く

  3. 「A Docile Workforce(御しやすい従業員)」
    ⇒均質的な従業員のマネジメントに慣れすぎたために多様な人材のマネジメント能力が身につかない

  4. 「A Homogeneous Team at the Top (均質的なトップマネジメント層)
    ⇒諸外国では一般的に役員の中での外国人比率の2倍の比率で海外売上高比率が構成されるというデータを示しつつ、日本企業では、自国の人材のみで構成されたトップマネジメントが海外進出のボトルネックとなっている

論文全体を貫く論旨はこうだ。

「日本企業は、過去の一時期に彼らに成功をもたらした特殊な環境に過剰適応してきました。だから、環境が変わった今、絶滅しそうになっています」「(日本以外の)皆さん、絶滅しそうな彼らのようにならないため、気をつけましょう」

この論文が掲載されていた当時の日本企業にとっても死活問題と捉えるべき内容は、2023年の今でもそのまま通用しそうである。“メンバーシップ型”か“ジョブ型”か、自社に合う“ジョブ型”とは何か、これまで企業に貢献してきた人材への対応をどうすべきか、を議論している日本企業を見ると、果たしてこの警句に適切に向き合ってきたのか、と筆者は感じてしまう。

独自の“ジョブ型”という発想は正しい考え方なのか

課題指摘の最初の項目が「自社Wayへの傾倒」は着目すべきだ。多くのビジネスケースで、組織文化やWayの重要性は指摘され続けている。経済学的にも、模倣障壁を持つ組織能力がもたらす競争優位は、企業に安定した利益をもたらす。現在でもこの優位性は変わらない。昨今では、パーパス経営と名を変え、より普遍性を持つユニバーサルな概念へと高める方向で、世界中の企業がそのあり方を追求しつづけている。しかし、先に紹介した論文の中では、日本企業のWayは自社の強みとして機能してきた“呪縛”であり、経営層の多様化を阻み、海外での人材獲得競争を阻害してきた原因だと指摘されている。

この分析は、日本企業にとって重く受け止めるべきだと筆者は考える。この10年間、この警句への対応を怠ってきた企業は、業界によっては世界的に競争力を失っている現実を直視すべきである。

日本企業の競争優位の源泉の一つを組織文化に求めるならば、日本企業が、今でも“自社なりのあり方”を追求することは合理的だともいえる。しかし、日本での労働人口が減少していく今、人材における国際化を含めたダイバーシティの追求は、企業の浮沈を左右するものとなる。先進国の中でも、最も早く少子高齢化が進展する日本は、同じく少子高齢化が進む海外企業と、国際的な人材獲得競争にどのように打ち勝っていくのかをもっと真剣に考えなくてはならないと考える。

かつての失敗を二度と繰り返さないためのジョブ型雇用

1991年にNHKで放送された「電子立国日本の自叙伝」での次のコメントを紹介する。

1991年、日本はバブル経済の絶頂期、日本の半導体業界はピーク時に世界の52%のシェアを握っていた。文字通りメモリを中心に世界を席巻していたのだ。そんな時代に、飛ぶ鳥を落とす勢いと見られた日本の半導体業界を描いた番組である。

「メモリーというのは、開発項目が100項目くらいあると思うんですね。それを、一斉に、こう、並行的に走っていかないといけない。同じようなレベルのエンジニアが100人いないとできない。それが日本の場合には、協働で、俺がやるというのではなく、協力してできた。それに比べてマイコンというのは、ある優秀なエンジニアが論理回路を構築してしまえばよい。俺が、俺がでよい。集積回路というのは、考えれば考えるほどシュリンク(集積度を高めること)できる。そういう頭のよさ、エンジニアの優秀さが問われます」(志村 則彰:カシオ計算機専務(当時):電子立国日本の自叙伝第5回)

この当時は“マイコン”と呼ばれているが、現在のGPUなど人工知能開発にも不可欠と言われる回路構造そのものにロジックとノウハウが詰まった大規模集積回路のことである。日本は当時、同分野においてIntelなどの企業の後塵を拝し遅れを取り始めていた。それは何故かという理由を描く際に語られていた言葉である。

日本企業は、その後、半導体産業において、単純なメモリ分野では大規模投資とファブレスと言う新しいビジネスモデルを構築した台湾、韓国に抜かれ、LSIでの競争優位の確立を目指して様々な企業が個別に投資を行うも、少数の天才エンジニアが生み出すソフトウエアとLSIを組合わせた廉価で高度な技術によって工場を売却するなど、厳しい環境に追い込まれていった。

「俺が、俺がでよい。(中略)そういう頭の良さ、エンジニアの優秀さが問われます」

集団のすり合わせではなく、少数の優れた個人の才能を活かしきる時代への変化。まさに、ジョブ型雇用が強みを発揮する人材活用の姿である。当時の経営者は、その時代の変化の本質をきちんと捉え、理解していた現実に気付かされる。しかし、そのあるべき姿は十分には実現されなかった。“飛びぬけて頭の良いエンジニアの力を最大限に活かす開発の実現“を阻害したものの一つは、集団としての結束を重視した日本企業の“メンバーシップ型”と呼称される組織・人材マネジメントのあり方にあったのではないだろうか。

この課題は、今でもソフトウエアやプラットフォームなどで世界と戦える企業が日本に登場しない理由の一つでもある。それは、40年以上前にも指摘されていたのだ。日本が、それまでの成功体験に縛られず、当時からよりダイナミックな人材マネジメントのあり方を実現できていれば、今の日本の競争力は変わっていた。そう筆者は思うのである。

人材マネジメントに正解はない。しかし、「協働で協力」が良い時はそれに合わせたフォーメーションを、「個のエンジニアの優秀さが問われる」時にはそれに合わせたフォーメーションを、ビジネス環境の変化に合わせて最適に組みやすくできることは必要なのである。

そうしたフォーメーションの組みやすさを目指した制度がジョブ型雇用である。この取り組みは、こうした歴史を繰り返さないために必要なテーマなのである。我々は、今、過去の日本企業の成功の源泉や要因、失敗の背景を冷静に見つめた上で、新しい環境の中で、新たな競争優位の源泉をもたらす組織・人事の姿を、今度こそ不退転の決意をもって一から問い直していくべきなのではないだろうか。

今は湿地が拡がる環境で最強を誇るワニは、地球に低湿地帯が広がっていた古き世界で最強をほしいままにしていたという。しかし、ワニはその環境に過剰適用したと言われている。その後、陸地に乾燥した平原が広がった時には、陸地に進出できず、小さな世界での覇者となっていった。日本企業、いや、日本社会は、将来、この姿と重ねられないようにしなくてはならない。クライアントと共に、この課題に向き合っていきたいと思う。

著者
中村 健一郎

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