役員報酬、グローバル企業としての在り方 

26 2月 2019

役員報酬は、どのように決まるべきなのか、という議論がある。この点については、決定プロセスと報酬水準の2つの要素を分けて考える必要がある。

決定プロセスにおいては、独立性を有した社外取締役を交えた報酬委員会のような会議体で議論し、会社としてフェアな意思決定をすべきであるという認識は、もはや常識となったと言えるだろう。

一方、報酬水準については、一義的には役員が担う機能・責任・権限の大きさで決めるべきである。その上で、役員個人の属性(経歴やマーケットバリュー)などを加味して最終的な金額が決まってくることになる。この報酬水準という点について、多くの日本企業には大きな課題が内在している。

グローバル企業の経営陣が担う機能・責任・権限は、諸外国と日本で異なる要素はなく、日本企業だからという特殊性は存在しない。世界で熾烈な企業競争を展開しているグローバル企業に、米国企業も日本企業もない。そこにあるのはグローバル企業としての在り方のみである。

即ち、日本企業トップに求められている機能・責任・権限の重さは、グローバル企業トップそのものであるわけで、グローバル企業であるという文脈を踏まえることなく「日本企業の報酬水準はいくらであるべきなのか」という問いの立て方は本質的に誤りであるし、日本企業内のみでの報酬ベンチマーキングには大きな意味はない。

まずはグローバル企業としていくらが妥当なのか、という問いが先にあり、その後に、日本というマーケット特性を加味して判断する、という順序で考えるべきなのである。

もちろん国ごとに物価水準や人材市場の状況が異なるので、国ごとによって報酬水準が異なることは結果として生じるが、先進国の中で、突出して低い役員報酬水準である今の日本の役員報酬の在り方は、極めて特殊であるし、日本企業トップの機能・責任・権限の重さと報酬水準のバランスは取れているとは言えず、リスク・リターンのバランスを失している。

もちろん多くの日本企業の経営者が、報酬目的で経営に従事されていないことは重々承知している。身近に接して頂いている企業経営者の多くは、社業を通じた社会貢献であったり、経営陣と従業員との一体感を重視され、報酬の多寡にはそれほど関心を持っておられず、むしろ“清貧の思想”とも言うべき謙譲の美徳をお持ちで、報酬を増やすことに躊躇や、時には抵抗感すら示される方が殆どである。

しかしながら、そうした日本人的な“美徳”は、海外の投資家にはなかなか理解されない。

グローバル企業の中で低い報酬水準は、外部から優秀な人材を獲得する点において障害とならざるを得ないだろうし、少し厳しい言い方をすれば、低い報酬水準を維持することで、外部からの人材登用や、資本市場へのグローバル企業としてのコミットを避けている(バリアを張っている)と批判を受けても仕方がないとも言える。

但し、報酬水準を単純に世界基準に合せればよい、というものではない。しかし、グローバルに比肩する水準に近づけることで、文字通りグローバル企業の経営トップとしての覚悟と経営責任の大きさへの自覚と緊張感こそが、多くの日本企業に求められているものではないか、と考える次第である。

著者
井上 康晴

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