今さら聞けない「ジョブ型」雇用(その4)個人にとってのメリット・デメリット 

7月 16, 2020

今回は主に個人の立場から見た「ジョブ型」雇用について論じたい。

現在の「メンバーシップ型」雇用から「ジョブ型」雇用への変革はあくまで会社の都合ではないか?個人にとっては不利益でないか?という声を耳にする。また、会社の立場としても「ジョブ型」雇用の採用は避けられないが、そうでない部分も残すべきではないか?という意見も多い。これらについて考察する。

なお、ここでは「ジョブ型」雇用を、以下特徴を持つ雇用のエコシステムと捉える。

  • 遂行するジョブの定義と会社および本人同意
  • 職種別採用
  • 職種別報酬
  • 本人同意の配置変更(社内公募を含む)
  • 十分にジョブの要件を果たせない場合のPIP・退職勧奨

個人にとっての「ジョブ型」雇用のメリットとデメリット

さて、個人から見た時の、このようなエコシステムのメリットとデメリットは何だろう?

良いところは、なんと言っても、自身がやることを選ぶ自由だ。もちろん、やりたいことをやるには、職種別採用や公募を勝ち抜くプロセスがあり競争もあるが、自分の意思で仕事を決めることができる。自らの意思によるキャリアの方向性ができるので、専門的な能力・知識の向上に励みやすくなる。その結果、自分の専門分野ができるので幅広い選択肢を持てる。「外部でキャリアチャンスに恵まれた時」、「会社の方針に納得できない時」、「上司が不合理な時」等、必要なら実際に辞めることもできる。「過労死するまで働く」という悲劇も、今より起こりにくくなるだろう。

結果として、人の流出入が多くなり、マーケットメカニズムが働くことで、年収が上がることも多い。マーサーが持つ報酬データの抜粋は新聞や雑誌でよく取り上げて頂いているので目にされた方も多いと思うが、一般にマーケットメカニズムが働いている外資系企業は、マーケットメカニズムが働いていない日系企業よりも同じ仕事で比較すると給与は高い。平均すると具体的には、マネージャークラスで2〜3割、ゼネラルマネージャークラスで3〜5割程度以上高い。仕事の魅力を決める重要な要素である仕事内容を選べ、報酬も上がる傾向にあるのだから、基本的には個人にとって良い話のはずだ。

では、なぜ、そういうポジティブな捉え方にならないのだろうか。それはおそらくリスクを回避したい、という気持ちが強いことが理由だと思う。「ジョブ型」雇用は自分の意思と努力でやりたいことに近付けるが、それを獲得するには競争があり、確実ではない。提供価値に対して対価を支払ってもらうという建付けであり、市場価値に基づいた高い報酬が得られることもあるが、基本思想としては雇用保障がされる訳ではない。「リスクの抑制」と「ジョブ選択の自由と収入増の機会」を天秤にかけて、前者がより重要だ、と感じているのだ。

どちらを選ぶか? ~「リスクの抑制」と「機会と挑戦」

どちらを選択するかは個人の価値観も影響する。「リスクの抑制」と「機会と挑戦」の言葉だけを聞くと、「機会と挑戦」をポジティブに捉えられる場合が多いと思う。しかし戦後の安定成長の中で、特に大企業ホワイトカラーの多くにとっては、日本型人材マネジメントの考え方が根強く浸透しており、リスクを避けられる「メンバーシップ型」は「ジョブ型」より魅力的だ、と多くの人が感じるのではないか。経営者や人事部門も、その心情を良く理解し、完全なジョブ型への移行に躊躇している場合が多いようにも見える。日本人は全般的に株式投資より貯金する傾向が未だに強く、それと似た構造なのかもしれない。

少し話が逸れる部分があるが、どちらかを選ぶのでなく両立すれば良い、すなわち、「会社は雇用保障と同時に個人にキャリアの自由を提供すべきだ」という主張がある。だが、雇用保障と個人のキャリア自律は完全な両立はできない。企業は事業を営んで利益を生み出すために、労働力を確保し配置するが、事業運営に必要な配置先(ジョブ)と個人の希望する配置先(ジョブ)が全て一致することはまずない。仮にあったとしても、たまたま発生する事象だ。配置を個人同意にして雇用保障をすると、個人側から「会社が提供するジョブに同意をせず、それに就かずに給与をもらい続ける」という選択が可能になり、あまりに不合理だ。そのため、今までは、「雇用保障はするが個人のキャリアの選択は犠牲にする」という建付けになっていたとも言える。

個人にとっての「メンバーシップ型」の経済合理性

ここまで、個人は挑戦機会を確保できる「ジョブ型」よりも、リスク抑制に優れた「メンバーシップ型」を望んでいる可能性を言及してきた。果たして、これは本当に経済合理的な選択なのだろうか?私はその点について、やや懐疑的だ。

一番大きな問題は、「メンバーシップ型」雇用では、個人が一つの会社に頼り切りになることである。事業の平均年齢は30年とも言う。徐々に50年に近づく就業期間を考えると、所属している会社や事業が潰れる、大幅縮小する、という可能性は十分に想定すべきだ。その際、メンバーシップを失うことになった個人は悲惨な状況に陥りやすい。「約束なので会社は雇用を保障すべき」「不利益変更はまかりならん」と騒いでも、会社や事業自体の存在が危うい時に意味のある主張にはならない。これは、「メンバーシップ型」でありながらも、業績悪化でやむを得ず行われる希望退職で、次のキャリアに困る人が数多く発生することからも明らかだ。経済環境に様々なリスクがある中、「メンバーシップ型」は、日々のリスクを取らないで済む選択を提供しているが、しっぺ返しとして「発生してしまうと極大のリスク」を内包しているように見える。

また、「メンバーシップ型」コミュニティは、有望な新規参加者を得ることが徐々に難しくなっている。「メンバーシップ型」雇用では、労働分配を増やすことが難しい昨今の環境下で、 “雇用保障”と“既得権保護”が運営上重視されている。そのため、コミュニティへの参加が先発で、コミュニティ内で好処遇を受けているものの既得権が保護され、その抑制が難しい状況があり、その煽りで、後発の参加者の処遇向上が抑制される傾向にある。経年の賃金センサスを分析すれば明らかだが、ジェネレーション(年齢でなく世代)が若くなるほど平均的な期待生涯年収が落ちる傾向がある。

若い世代で能力的に自信がある者は、構造的に勝ち筋が薄い年代序列のコミュニティへの参加を避けるだろう。一方、「メンバーシップ型」雇用のリスクの少なさに魅力を感じ、相対的に自信が無い人材はこれからも「メンバーシップ型」雇用に集まる。結果として、「メンバーシップ型」コミュニティは、次世代を担う優秀な若年労働者の確保が難しくなりつつある。事業・組織運営面で、優秀な新規採用者が少なく組織の存続が難しい、と明確になった時には打ち手は限られ挽回は困難になる。このことから私は、一部の例外的な企業を除き、「メンバーシップ」型コミュニティの継続的成功は長期的には難しくなる可能性が高い、と考えている。

現状では個人の仮説だが、程度の問題はあるものの、「メンバーシップ型」雇用は結果公平的な社会主義的配分を導く傾向があり、その面からも長期的な成功を収めることが難しいのではないか、と私は想定している。「ジョブ型」雇用の基本は、個人の自由な意思決定、リスクテイク、競争、その結果としての報酬であり、資本主義的な哲学に沿ったものだ。一方、「メンバーシップ型」では、雇用と既得権が保証され、フリーライドが発生しやすく、配分がフラットに近づく傾向がある。どちらかと言えば社会主義経済的だ。資本主義的な経済システムと社会主義的な経済システムのいずれが長期的に優れたリターンを生んだかはよく知られたところだろう。「メンバーシップ型」で指摘されている個人の継続的な努力(スキルアップやリスキル)へのインセンティブの低さ、多くのフリーライダーの発生等の問題は、社会主義経済下でも共通して発生した行き詰まりの原因であり、類似性を感じさせる。それは、この30年間の日本経済の停滞とも重なる。だとすれば「メンバーシップ型」への拘泥は、個人にとっても良い話ではないだろう。

これからの選択

「ジョブ型」と「メンバーシップ型」は、個人から見ると「リスクの抑制」と「機会と挑戦」の選択だ。現状は本音ベースでは「リスクの抑制」を望む個人はまだまだ多いのだろう。しかし、その直近のリスク抑制は、「リスク顕在時の負の影響の極大化」、「世代間格差を原因としたメンバーシップ崩壊の懸念」、「長期的な経済の行き詰まり」を招いているかもしれない。そもそも、資本主義的な経済システムにおいて生じる雇用のリスクを日本では誰が負ってきたかというと、政府、会社、個人という3種類のプレイヤーのうち、その多くを企業が負ってきたのではないだろうか。そのようなやり方を今後も継続していくことは、日本企業の国際競争力を低くし、そこから転じて個人への配分にも悪影響を与えそうだ。今よりも国や個人にもリスクを分散させる方が合理的に見える。

会社にとっては、経営環境変化に対応すべく、必要人材の外部からの確保、優秀人材のリテンション、既存社員のリスキル・スキルアップの促進を目的として、「ジョブ型」雇用は進めたい施策だ。個人にとっても、短期的なリスクは増えるもののそれを受け入れ、積極的にキャリアを形成することで、長期的なリターンを高める方が良い選択なのではないだろうか?

著者
白井 正人

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