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AIが奪うのは仕事ではなく、考え抜く余白だ 

01 6月 2026

「育ちの場」と「人としての価値」をどう設計するか

AI導入の議論は多くの企業で始まっている。多くは効率化の数字、ツール選定、ガバナンスから入り、それぞれ必要な議論である。しかし、人的資本開示、ジョブ型雇用の推進、AIの台頭といった構造変化が同時に進む今、CHROを含めた経営層が向き合うべき大きな問いがある。それは、組織のなかで崩れつつある「人が育つ条件」を、AI導入は止める側に立つのか、加速させる側に立つのか、という問いである。

AIが代替するのは「仕事」ではなく「考え抜く時間」

ChatGPTやClaudeに「来期の営業計画を考えてほしい」と頼めば、10秒で構造化されたドラフトが返ってくる。問いを立てなくとも、形の整った答えが出てくる。これはコストの問題ではなく、学習の問題である。試行錯誤、仮説が外れる経験、詰められる緊張感、言語化の苦しみなど、プロセスの「無駄」に見えるこれらは、これまで人が育つ場そのものだった。AIはその摩擦を容赦なく取り除く。

従業員の不安—表に出ているもの、出ていないもの

マーサーが毎年実施しているグローバル人材動向調査 (1) において、今年の調査ではAIをめぐる従業員の不安に二つの層が見えてくる。

表層に見えているのは、雇用そのものへの懸念だ。「AIによって自分の仕事が失われる」と懸念する従業員は、2024年の28%から2026年には40%に増えた。代替への不安は、未来の話から目の前の現実に変わりつつある。

本調査は、この表層の一層下にある大きな問題の存在も示唆している。同調査では、「リーダーはAIが従業員に与えるネガティブな心理的・感情的影響を過小評価している」という設問に、従業員の62%が「強く同意する」または「同意する」と答えた。一方で、個人がすでに抱えているものの、組織がまだ捉えていない懸念がある。それは「AIが答えを出す職場で、自分は何を身につけるべきか」「自分はどう価値のある存在であり続けられるのか」。組織には届いていないこうした不安が、62%という数字の裏に含まれていると考える。代替される不安よりも、育つ機会も手応えも持てなくなる職場のほうが、長期的には深刻である。

「育ちの装置」の二重の解体

日本企業はかつて、新卒採用からの長期雇用、ジョブローテーションやOJTを通じた育成、その報酬の仕組みとしての昇格・昇給、定年まで勤めることで大きなリターンを約束する退職金制度などを一体化させた「育ちの装置」を内側に抱えていた。長くいれば多様な仕事を経験し、先輩の背中をみて学び、失敗を積み重ねる。育成は制度ではなく、日常の副産物でもあった。

もちろん、その装置は手放しで称賛できるものではない。雇用を維持する見返りとして時には長時間労働や必ずしも本人が望まない異動を強いるなど、会社への過剰な依存を生んだ側面も抱えていた。だが、いま壊れつつあるのは、その負の側面ではなく、副産物としての育成機会のほうである。

その装置を壊そうとしているのは、二つの流れだ。一つはジョブ型雇用とあわせてキャリア自律の考えが浸透してきた結果、「自分のキャリアは自分で作るべき」という考え方が職場に入ってくるという流れだ。もう一つがAIである。職場で実現されていた育成の現場に、AIが「答え」を渡し始める。その結果、職場における試行錯誤を含めた育成の機会そのものが消えていく流れだ。 FerdmanはAIによるスキル低下について言及しており、それが個人の問題ではなく、構造的な問題と説いている (2)

この二つの流れは「個人の自律」と「思考のショートカット」という形で同時に進行する。結果として残るのは、人が育つための条件が狭まる職場である。

AI時代に「残るもの」——中間共同体と個人の輪郭

そのなかで何を残せるものは何か。私は組織と個人、どちらもあると考える。

まず、組織として残せるのは、マネジャーとその周りにつくられる小さなチームだ。答えを持っていながら渡さない、「なぜ」を執拗に掘り下げる、全員が自分の言葉で納得するまで議論する。社会学ではこうした場を「中間共同体」と呼ぶ (3)。近代以降、国家と市場が個人を直接結ぶ仕組みが拡大するなかで、その間にあった共同体(家族、地域、職場の小集団)が痩せ細ってきた、というのが社会学の中核的な見解である。判断や価値観を磨く場が消えていったのだ。

AI時代の職場はこの考えを再現しうる。キャリア自律を促す市場原理とAIによる効率性原理が直接個人に届くようになるほど、その間にあった「育つ場」「考える場」「自分の意味を確かめる場」は痩せ細る。マネジャーを核とした中間共同体を職場のなかに意識的に残すことは、社会学的な防衛線として機能する。AIがタスクをこなすほど、ここは人が育ち、人がAIを指揮する側に立つための足場として位置づけ直される。

個人もまた、自分の中にAIに代替されない人ならではの力を持ち続ける必要がある。たとえば、AIで整えられた提案書を見て「何か噛み合っていない」と感じる違和感の感度、「そもそもこの問題設定は正しいか」と疑い設定し直す力、複数の解釈があるなかで「それでも自分はこちらを選ぶ」と決められる不確実性のもとでの決断、即答が手に入る時代に温め続けている興味関心を手放さない志などである。これらは「AI時代の新しい能力」ではなく、AIを指揮する側にいるために、もともと人にしかなかった力を再認識しようとするものである。共通するのは「所有の不可能性」だ。これをAIに代行させた瞬間にそれはもはや自分のものではなくなる。

CHRO への問い

CHRO が向き合うべき問いは二つある。「人はどこで育つのか」、そして「人はどう価値ある存在であり続けるのか」。

これに関連して、人事リーダー自身が置かれている現状を表す数字がある。前述したグローバル人材動向調査では、68%の人事リーダーが「AIの心理的・感情的影響に対処している」と確信している一方で、デジタル戦略にこの要素を明確に組み込んでいる組織は19%にとどまる。確信と実装の間に、49ポイントのギャップがある。このギャップを埋めるには、たとえば3つのステップで段階的に進めるとよい。

  1. 業務フローのなかで「判断機会が削られている箇所」を可視化する。マネジャーが自分のチームの過去数ヶ月を見渡し、「AIに任せて済ませたが、本来は人間が考え抜くべき場面だった」工程を洗い出す。それをアサイン設計やマネジメントプロセスに重ねれば、判断機会がどこで構造的に消えているかが見えてくる。
  2. その箇所に「AIに丸投げしない」ルールを差し込む。採用前の担当者間での議論、新人育成での判断時間の確保、ジョブローテーションの判断機会などを再設計する。
  3. 最後に、評価項目、KPI設計などマネジメントプロセスを「判断機会の KPI」と整合させ、組織カルチャーに定着させる。

最初の可視化に時間をかけた組織ほど、その後の業務フロー再設計と評価制度への接続が順調に進む。逆に最後から始める(例:KPI を設定するだけで終わる)と、現場では形式的なものだけに留まりがちだ。

日本型雇用システムが半世紀以上かけて内側に抱え込んできたものが、AIの導入とともに失われようとしている。CHROを含め経営陣には、それを理解した上で次の「育ちの装置」と「価値の場」を設計する責任が問われている。

参考文献

(1)   Mercer (2026) Global Talent Trends 2026.
https://www.mercer.com/ja-jp/insights/people-strategy/future-of-work/global-talent-trends/

(2)   Ferdman, A. (2026) AI deskilling is a structural problem. AI & Society 41:3001-3013.

(3)   Putnam, R. D. (2000) Bowling Alone: The Collapse and Revival of American Community. Simon & Schuster.

著者
諸橋 峰雄
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