退職給付信託の見直し
25 11月 2024
退職給付信託の概要
振り返り1. 政策保有株式の活用
日本では2000年4月より「退職給付会計に係る会計基準(以下、退職給付会計基準)」が導入され、確定給付型の退職給付制度を採用している企業は退職給付債務と年金資産の差額(積立不足額)を企業のバランスシートに負債として計上することが必要となった。
退職給付信託は退職給付会計基準の導入にあわせて設けられた仕組みであり、積立不足がある企業の一部は自社の保有する政策保有株式を退職給付信託として設定し、積立不足解消に活用した。退職給付信託に設定された株式は信託銀行が保有するものの、議決権行使の権限は母体企業に残されることから、実質的には政策保有株式の性質を維持しつつ、負債の圧縮を実現することができたのである。このような株式は「みなし保有株式」と呼ばれ、当然のことながら掛金拠出や給付支払いに充当するために売却することはなく、保有し続けているのみであったのだが、設定当初と比較して株価が上昇し、資産が大きくなっているものも散見される。
振り返り2. コーポレートガバナンス・コードを契機とした見直し
2015年の策定以来、改訂が行われてきたコーポレートガバナンス・コードは、政策保有株式のあり方について焦点を当てており、政策保有株式の縮減を検討する企業が増えてきた。これは「みなし保有株式」も例外ではなく、売却する事例も見かけるようになった。ここで注意しなければならないのは、「みなし保有株式」をキャッシュ化したとしても、信託財産であることに変わりはないという点である。売却後の使途は掛金拠出や給付支払いへの充当となるが、その間に投資信託等で運用し、資産額を増やすということも考えられる。これは一般的に運用型退職給付信託と呼ばれているが、DB制度の資産運用と比較すると運用手法および投資対象の範囲は限定的となっているのが現状だ。
その他の使途として、母体企業に返還して本業で資金活用するという選択肢を紹介したい。これは、退職給付債務に対して大幅な積立超過となっている場合にのみ検討の余地があるものだが、株価上昇による資産増加のほかに、退職給付制度を確定拠出年金制度に一部移行することによって退職給付債務が減少しているケースなどもあるため、該当する企業は一定数あると考えられる。特にDB制度は退職給付信託以外の資産でも十分な積立がなされている企業が大半となっている。
退職給付信託の母体企業返還の検討
一般的に信託財産として設定した資産を母体企業に返還することは認められていないが、退職給付会計基準の適用指針第106項には「退職給付債務と年金資産とを比較して、将来の予測できる一定期間においても積立超過の状態が継続し、当該積立超過分について退職給付に使用される見込みがないことを合理的に予測できれば返還は可能」という旨の記載がある。これはすなわち、現時点における積立超過部分をすべて返還できるということではないが、将来的に発生しうるリスクシナリオにおいても積立超過となっていると想定される部分については返還可能ということを意味する。
退職給付信託の返還可否および返還可能額の検証方法としては、年金ALMのロジックを用いることが適切だろう。年金ALMでは、資産・負債の双方において将来予測を行い、リスクシナリオにおける積立状況を確認することができるため、合理的な予測という点でマッチしている。前述した適用指針には、具体的かつ定量的な水準は定義されていないが、リスクシナリオとしては相場環境の悪化による資産減少、人員構成の変化や割引率低下による負債増加(終身年金制度における平均余命の長期化を含む)などが考えられる。実際に退職給付信託の返還を行っている企業では、受益者保護の観点を意識しつつ、必要に応じて会計監査人や弁護士を交えて想定すべきリスクシナリオや妥当と考えられる返還額を協議していることも多い。なお、退職給付信託を返還する際には当該返還額に係る未認識数理計算上の差異を損益として一括認識する必要があるため、特別利益(損失)が発生することにも注意が必要である(日本以外の会計基準ではこの限りではない)。
足元はボラタイルな運用環境が続いているが、退職給付制度における積立状況は健全な企業は多い。国内金利が上昇の兆しを見せていることから、割引率上昇に伴う退職給付債務の減少により、積立状況がさらに改善することも見込まれる。退職給付信託内にキャッシュが滞留しており、掛金や給付に充当するとしても使い切るのに長い期間を要するような企業にとって、返還することで効率的な資金運営を行うというアイディアが一助となれば幸いである。