HR M&Aエキスパート 第2回 現法人事の憂鬱 

12 9月 2023

マーサーM&Aチームの視点からHR M&Aエキスパート(M&Aにおける人事領域の専門家)について考えるシリーズとして、前回はコーポレート人事のM&Aにおける役割を考察したが、第2回目となる今回は海外現地法人(現法)の人事部門の役割を考えたい。現法人事となると、地域統括会社の担当者(リモート含む)や本社からの駐在員の混成部隊となっているケースも見受けられるが、本稿では特に、現法に直接雇用されている人事担当者の役割に着目する。

本社や事業部門から委ねられるもの

そもそも、現法人事がM&Aプロセスに関与するのはどのタイミングだろうか。

現法自身が主導するディールを別とすれば、プレディールから最終契約書締結に至るまでのディールフェーズは、利益相反の可能性(現地法人は統合の対象)、情報統制、意思決定のスピード確保などの観点から本社の事業主管部門や地域統括会社等を中心に進められる例が多い。最終契約書が締結されてクロージング準備が始まると、ようやく現法人事にも出番が与えられ始める。クロージングに際しての従業員コミュニケーション準備、カーブアウトの場合の従業員転籍や人事制度・処遇の整備、人事機能の立ち上げなどである。

そして、無事にクロージングを迎えPMIが本格始動すると、いよいよM&Aの推進主体は現法にシフトする。この時も、組織統合に伴うリーダーの選任、組織カルチャーの融合のように引き続き本社が引き受けるタスクも残る。しかし、買収先と既存拠点との間での人事制度やHRISを含む人事オペレーションの統合、重複機能の整理と要員の最適化(整理解雇)、それらに係る従業員やユニオンとの協議・交渉など、現地の法や慣行に根差して進められる業務の大部分は現法人事の役割となる(図1)。

これらは、買収目標の達成に向けて人と組織が実態として機能するように仕立てていく非常に重要な業務である。だからこそ、本社人事や事業部門としては、その国・その道の専門家たる現法の人事部門に多くを委ねたい。無論、委ねるとは言っても、M&Aである以上は今回のディールで達成すべき事業目標があり、それに基づいて全体のPMI方針が定められているので、現法人事もそれに則って物事を進める必要があるし、本社人事が掲げるグローバルHR方針やグローバル人事施策も無視できない。

現法人事の憂鬱

一方、現地には現地で、顧みなければならない様々な制約条件や事情があり、自拠点の経営陣や本社に従ってさえいれば良いわけではない。ここで言う制約や事情の代表的なものは以下である。
  • 雇用法制: M&A前後での処遇維持、従業員転籍時の個別同意取得、解雇プロセス・解雇手当に関する法定要件である。これらは最も強い制約条件と言える。
  • 労使関係:同じく、処遇切り下げや整理解雇を制限する労使合意。明確な労使合意が無くても、買収先の労使の温度感も顧みるべき要素である。
  • 現地慣行:雇用条件や処遇条件に関する現地の市場慣行や社会通念。ここから外れた行為は、従業員モラールや離職リスクに悪影響を及ぼしかねないし、思わぬレピュテーションリスクにもつながる。
  • 雇用環境:国全体や周辺地域の雇用流動性、失業率、労働者の質、報酬水準。これらに応じて必要な施策は変わりうる。
つまり、現法人事には、自拠点の経営陣や本社人事から降ってくる上位方針と現地固有の制約・事情のバランスをとった難度の高いオペレーションが求められているのだ(図2)。

だからだろうか、現法人事を適切にバイインできなかったことによる失敗の噂を耳にすることは少なくない。制約条件を軽視した結果としてのクロージング準備の遅延、現実感を欠いた目標の押し付けによる統合の遅れと所期のシナジー目標の未実現、リッチな制度の導入や解雇手当積み増し等によるコスト増、人心の離反とキーパーソンの退職による組織力低下などである。人事アドバイザーとして関わる中で時折、マーサーの現地コンサルタントを通じて、第三者に対してだからこそ(そして恐らくは現地人同士であるからこそ)言える、本社には伝えられない様々な憂鬱の種を耳にする。

曰く、経営陣や本社から十分な説明が無いまま、通常業務以外の責任を上乗せされた(降って湧いた面倒ごとを押し付けられた気分だ)。
曰く、本社の方針は現地事情が軽視されていて、このままでは従業員やユニオンに説明できない(そもそも、自分自身が腹落ちしていない)。
曰く、ふたを開けてみると本社人事も事業部門もどこか他人事で、十分なサポートを受けられない(従業員やユニオンからも突き上げられ、孤立無援に感じる)。

「HR M&Aエキスパートが力になります」

改めて言うが、現法人事に委ねられているのは買収目標達成に向けた組織・人事上の重要タスクであり、上位方針と現地事情のバランスが求められる難度の高い業務になる。しかるに、本社や事業主管部門としても適切なサポートを提供し、憂いなくクロージング準備、PMIを進めてもらいたいものだ。そこで、具体的にどのようにサポートし得るのかを考えてみたい。

(1)拠り所となる基準や方針の作成と展開:細かいルールや慣行は国ごとに異なっているものの、実は押さえておくべきポイントには一定の共通点がある。チェックポイントや過去のベストプラクティスが明確になった道しるべがあると、手ぶらで霧の中に放り込まれるより遥かに動きやすくなる。

(2)社内の依存関係やコンフリクトの調整:現法人事にとっての難所の一つが、自分たちよりも上流でコンフリクトが生じてプロセスが流れなくなった時の対処である。特に買収先経営陣が関わっていたりすると、本社側でしかるべき人を担ぎ出さなければ解決しないケースもある。そんな場合の相談先・相談プロセスが定められていると現法人事の安心感が高まる。

(3)本社からの出張者・駐在員の派遣:現法人事にリソースやケイパビリティが不足している場合には、本社から経験豊富な担当者を派遣してプロジェクトをリードさせることもできる。上記の(1)や(2)が未整備の場合でも、それらを補ってくれる人がいれば現法人事にとっては頼もしいことこの上ない。

ただし、残念ながら前回のコラムで掲げたHR M&Aエキスパートが脆弱だと、これらは十分なサポートにならない場合もある。本社のカウンターパートがM&A特有のコンテクストを理解できていなければ的外れなサポートになってしまうし、M&Aにおける人事領域の専門家として社内で顔が利かなければコンフリクトを調整してくれるどころか余計な管理プロセスが増やしてしまう恐れもある。

「安心してください、私たちが力になります」

その一言が現法人事の憂鬱を吹き飛ばすのは、頼りになるHR M&Aエキスパートがいてこそかもしれない。

著者
小原 広太郎
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