中国、これまでの20年と駐在員(3)
前回本コラムでは、2000年から2008年頃における在中国日系企業の課題と対応について振り返った。中国が日本にとって最大の貿易相手国になり、中国事業拡大に伴い組織規模が拡大していく中、優秀な中国人社員を確保・活用、引き留める必要が高まった。そして、そのために発想を転換し、日本的な長期雇用をベースとした年功序列・職能基準の人事制度ではなく、流動性が高い労働市場において適用しやすく国を越えて説明しやすい「職務基準」の人事制度検討・導入が顕著になってきたことを述べた。
今回は2008年頃から2012年にかけての事業環境の変化や対応について振り返ってみたい。
3. リスクへの対応-進出目的の再考を迫られる駐在員(2008年-2012年)-
2008年前後にかけて、駐在員が最も関心を示した出来事に「労働契約法」の施行があった。この時期中国に駐在されていた方ならば、一度はこの法律に関するセミナーに参加されたことがあるのではないか。
1978年の「改革開放」以来、農村の廉価な余剰労働力と外国資本を活用した沿海部への集中的な投資により、中国は世界一の貿易黒字国となる。一方で、所得水準における農村と都市、西部と東部、貧困層と富裕層等の格差が広がってしまった。この課題を解決するために、政府は「和諧社会」(調和のとれた社会)建設を目指すべく、発展の方向性について軌道修正を行った。労働契約法の施行はその施策の一環であった。
労働契約法は雇用の安定・促進及び労働者の権利と利益保護に重点が置かれたものであった。詳細内容の説明は専門家に譲るとして、当時日本人駐在員が関心を寄せたのは労働契約の無固定期化に関する条件や試用期間ルールの厳格化であった。具体的には、勤続年数が10年以上に達している場合、または2回連続で固定期間労働契約を締結した上で3回目の契約を更新する場合は無固定期間で雇用しなければならないということ、試用期間も契約期間に応じてその期間が定められ、試用期間中に労働契約を解除する場合はその理由(採用条件に適合しないことを証明)の通知が要求されるということ等に関心が寄せられた。
そもそもなぜ労働契約の無固定期化促進が意識された法律が施行されたのか、なぜ駐在員は関心を寄せたのか、と疑問に思われるかもしない。実は2008年以前中国における雇用は固定期間の労働契約締結が主流であったからである。
前回コラムでも述べているが、この時期は中国組織規模の拡大が進んでいた。人材の不足感が顕在化しており、当時、日系企業は採用活動を盛んに行っていた。そして、組織規模拡大を迅速に実現するために、人材確保のスピードが問われていた。採用の質よりスピードが重視されやすい状況が生まれており、固定期間雇用が主流であった労働市場(いざとなったら雇止めができる労働市場)は都合がよかったのである。当時は以下のような認識をもつ駐在員は少なくなかった。
- 「とりあえず採用して、試用期間中に考えよう。だめだったら採用しなきゃいいんでしょ」
- 「本採用にするかまだよく分からないな、決められないな、試用期間を延長しよう」
- 「いざとなったら次に契約更新しなければいい、今年はとりあえず更新しよう」
- 「ジョブホップのお国柄だし、いつでも雇止めができる」
現在中国において上記のような認識をもつ駐在員は少ないであろう。しかし、当時は上記のような認識を持ちながら組織規模拡大に取り組んでいた駐在員は多かった。人事管理に携わったことがない駐在員も多かったこと、当時の慣行に鑑みると、こうした認識が横行したのも致し方なかったのではないか。
これまで組織規模拡大に向けて手際よく採用活動を行っていたが、労働契約法の施行によって「一旦採用すると最悪定年まで雇用しつづけなければいけなくなる」という事態を念頭に入れて採用の是非を判断しなくてはいけなくなったのである。急に採用の「重み」が増したのであった。当時の駐在員にとってはインパクトのある出来事であった。
また、この頃労働者による処遇改善を求めるストライキも頻発した。特に2010年に5- 6月に集中して発生した(表1)。日本においても大々的に報道されていたので記憶に新しい方も多いであろう。社会的な不公平感に加えて、不透明で説明しづらい人事管理が原因だとも言われている。日本人駐在員が「これまでのやり方だといけないのかもしれない」と危機感を覚えたのもこの時期である。
表1 2010年5月-6月に発生した労働争議・ストライキ(抜粋)
出所: 当時各報道から筆者抜粋
2010年5月から6月にかけて起きた労働争議直後に当局による賃上げに関するガイドラインが相次で公表された。中国において工会(労働組合)の自律性や機能が強化され、各地方における人力資源社会保障局が賃金ガイドラインを公表するようになった。体系的かつ定期的な賃上げが行われる環境が整っていった時期でもあった。
格差是正を目的とした最低賃金の引き上げも相次いだ。2000年から2010年までの間に2倍以上に引き上げられ、現在も上昇し続けている(表2)。
表2 主要都市月次最低賃金推移(RMB)
出所: 各地域人力資源保障局発表資料から筆者作成
第12次五ヵ年計画(2011-2015)においては低所得者の収入増加が謳われ、労働者を保護し、豊かさを配分するための動きが加速するという見方が大勢となった。労働者の所得増加を積極的に後押しする政府の施策は継続され人件費高騰は確実視された。
2008年から2012年頃は、格差是正に向けた政府の施策や労働争議に翻弄される形で労務リスクが強く意識された時期であった。安易に雇用することはリスクにつながり、日本人駐在員による不透明な人事運用は許されなくなった。人件費高騰も確実視され、これまでの廉価な人件費を当てにした中国進出には限界が訪れたとの認識が持たれた。
一部「チャイナプラスワン」の議論が活発化するものの、むしろ中国へ進出する企業数は増加していった。それは中国進出の目的が、「世界の市場」としての存在感を増してきた中国市場の攻略へとシフトしていったからである。
次回は、今回と同じ2008年-2012年であるが、市場攻略へと事業活動をシフトしていった時期の日系企業の課題と対応について振り返りたいと思う。
(つづく)