中国、これまでの20年と駐在員(2) 

前回本コラムにおいて、1995年から2000年にかけて日系企業が中国で抱えていた課題と取り組みについて振り返った。

中国拠点の位置付けが日本本社の事業を推進するための出先機関であった頃、中国拠点はあくまで「日本式」の延長線上でマネジメントが展開されるステージであり、「中国通」である駐在員や「日本通」である中国人社員が求められたことを述べた。

今回は続編として、2000年頃から2008年にかけての事業環境の変化とその対応を振り返ってみたい。

2. 拡大期 - 「最大の貿易相手国」の駐在員(2000年-2008年) -

2000年代に入ると日中の政治関係が悪化する。小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝(2001年)、李登輝前台湾総統へのビザ発給(2001年)、西安西北大学日本人留学生による寸劇に端を発した暴動(2003年)等によって中国の日本に対するイメージは悪化する。それに呼応するように重慶で開催されたアジアカップにおける反日暴動(2004年)、日本の国連安保理常任理事国入り反対署名活動に端を発した反日暴動(2005年)等が日本で報道され、日本国内の中国に対するイメージも悪化していく。しかし、当時の日系企業はこうした日中関係の悪化を冷静に捉えており、この悪化を理由に中国から撤退するといった動きは大勢にならなかった。むしろ中国への進出を拡大していくことになる。

2001年中国がWTOに加盟した前後、法律などのビジネス上のインフラ環境が整備され日系企業を含めた数多くの外資系企業が対中投資を拡大した。2000年代の中盤になると中国は「世界の工場」としての地位を確立することになる。また、財務省貿易統計によると2006年における日本の対中貿易総額は約25.4兆円であり、この金額は対米貿易総額を上回ることになった。2006年度以降は、一貫して中国が日本の最大の貿易相手国(輸出入総額ベース)である。政治関係が悪化する一方、日中の経済活動・人的交流はこれまでにない拡大を示すことになり、駐在員もこの時期著しく増加していった。日中関係が「政冷経熱」と表現されるようになったのもこの頃である。

筆者が以前在職していた日系メーカーにおいても、当時は常に中国市場の動向が注目されていた。「中国室」という特定の国名を冠した部署が設立されたのもこの時期であった。そして、これまで中国とは関係のなかった社員(「中国通」でない人材)も、次々と出張で中国を訪れることとなり、当時中国に駐在していた筆者は出張者のアテンドで忙しい日々を過ごしていた。

中国における事業規模が拡大していく中、現地拠点の組織規模拡大は不可欠となっていった。そして組織規模拡大に伴い中国人社員を管理職として活用せざるを得なくなる。これまでのように、管理職は「中国通」の日本人駐在員が担い、「日本通」の中国人社員をアシスタントとして活用するという運営では立ち行かなくなったのである。

日本人駐在員は中国労働市場から如何に優秀な人材を確保・活用し、引き留めるかということに注力するようになり、適切な人事管理を通じてその課題を解決しようとした。ただし、この時期に派遣された駐在員も、前回コラムで紹介したような「中国人は日本人とは違う」「日本の常識は通用しない」という中国・中国人社員に対する異質感をもっており、以下のように中国人社員の動機付け要因の洞察に苦労していた。

縁があって日本企業に入ったのだから、できるだけ日本人の話を身につけて、「これから社会に貢献しよう」という気持ちをもってくれてもいいですよね・・・略・・・自分から問題を直そうという意気込みをどうも現地の人はもっていないように思えて仕方ありません。(園田、2000年、p.47)

日本人は、できなくても『頑張ります』といってやりますよね。でも、中国人は、できないからやめます、と割り切りますから。(園田、2000年、p.30)

上記の他に中国人社員は「個人主義」「チームワークが苦手」といった認識をもつ駐在員も多かった。(海野、2002年 、pp.166-172)

日本人駐在員は、その異質感を乗り越えて人材を確保・活用し、引き留め、方向づけ・動機付けすることの難しさを痛感していた。そして、中国人社員は人事制度に対して公正さ・透明性を求める傾向が強く、もし優秀な人材を確保したければ「なぜ私の給料はxx元なのですか」という質問に明確に答える必要があった。

そこで、日本と中国の違いを乗り超えるための考え方として、日本と中国の異質感を認めた上で、どちらかに寄せるための取組みではなく、逆説的に文化的な背景を共有していなくても説明ができる、つまり、「誰でもわかる」要素に着目した人事制度を志向するようになっていく。

その結果、流動性が高い労働市場において適用しやすく、外部競争力も適正に加味することができ、国を越えて説明しやすい「職務基準」の人事制度が、中国において有効であると認識されるようになった。日本本社の長期雇用をベースとした年功序列・職能基準の人事制度とは異なるとしても、中国人社員にも受け入れやすい制度として、「職務基準」の人事制度を導入し始めるようになったのである。

2000年から2008年頃にかけては、優秀な中国人社員を確保・活用、引き留めるために発想を転換し、日本的要素を排した人事制度を検討・導入するといった動きが顕著になった時期であった。

こうした発想・対応の転換は、中国に限らず海外において事業拡大が求められるステージにおいて発生するのではないか。

以前に比べて事業規模の拡大が求められているタイ、インドネシア、ベトナム等においても、日系企業が中国で対応を迫られたように、「日本通」人材ではなく、拡大する組織を支えてくれる現地の優秀な人材を確保・活用、引き留めることが求められている。ただし、これらの国々に派遣された日本人駐在員が、現地社員に対して異質感をもつ場合もあるだろう。また、人事制度に公正さ・透明性を求めるのも中国人社員だけではない。流動性が高い労働市場をもつ国も中国だけではない。こうした状況下で人材を確保・活用、引き留めるために職務を基準とした人事制度への転換を試みている日系企業は多くなっている。

今回の振り返りには、中国に限らず、海外事業を拡大するステージ、または現地組織の規模拡大が不可欠なステージにある場合には、職務基準の人事制度が有効かもしれないという示唆があったのではないか。

そうこうしているうちに、中国国内において格差是正に向けた「和諧社会(わかいしゃかい)」(矛盾のない調和のとれた社会のことを指す中華人民共和国のスローガン)政策が展開されるようになる。人件費の高騰が顕在化する一方で、地方都市における購買力向上による市場の地理的広がり、中間層の購買力向上による市場の深まりを通じて中国は「世界の市場」としての存在感を増していくことになる。そして、その「世界の市場」の攻略が課題として大きくクローズアップされることになっていく。

次回は労働契約法が施行された2008年以降、在中国日系企業が抱えていた課題と対応について振り返ってみたい。

(続く)

参考文献:
海野 素央 『異文化ビジネスハンドブック - 事例と対処法 - 』学文社 2002年
園田 茂人 『アジアと日本の信頼形成 - 日本人駐在員経験者への聞きとり調査 資料集(Ⅱ)』 2000年
著者
内村 幸司

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