日本企業におけるジョブディスクリプション(JD)- JDアレルギーを越えて(前編) 

22 6月 2021

ジョブ型雇用とジョブディスクリプション(JD)

ひと時、各新聞・経済誌を毎日のように賑わせていた「ジョブ型雇用」という言葉も、ようやく落ち着いてきた感がある。これまで本シリーズBig Pictureにて、マーサー 組織・人事コンサルティング部門代表の白井が、「今さら聞けない『ジョブ型』雇用」と題し5回にわたってコラムを掲載させていただいた。予想できたことではあるが、やはり大きな反響があった。その中で、ジョブ型人事を「ジョブを通じた『会社と個人の対等な取引』が根本的な理念」と解説している。

個人は、会社と合意した職務(ジョブ)の領域で価値を提供し、会社はその価値に見合った報酬を提供する。この職務領域の定義に当たるものが、ジョブディスクリプション(以下、JD)である。JDには、当該職務の概要、成果責任、必要となる能力やスキルと言った要件が整理・記述されることになる。

現在、数多くの企業がジョブ型雇用やジョブ型人事を検討する際に、最初に思い浮かべるキーワードの一つは、JDではないだろうか。

日本企業におけるJDアレルギーの存在

さて、そのような注目を浴びるJDであるが、様々な企業にコンサルティングでお邪魔していると、興味深い実態に気付く。

日本企業の中でも、「ジョブ型といったらまずはJDだ!とにかく社員全員分JDを作るぞ!」と、JDの作成を最優先事項とし、人事と現場マネジャーの労力を集中投下しようとする企業がある一方で、JDに対してはその必要性を認めつつも、「日本企業には合わない」「以前やったがうまくいかなかった」「労力だけ掛かって、メンテナンスもできないので意味がない」といった、JDアレルギーを持つ企業もある。

どちらの言い分も理解できる気がするのだが、まずJDアレルギーについては、日本企業における「JD導入の過去」を振り返ってみると、その背景が良く理解できるとともに、今後の示唆を十分に与えてくれる。まずはそこから解説したい。

90年代の成果主義時代のボトムアップ型JD

さて、JDの導入については、ジョブ型雇用が叫ばれているこの2020年代よりも随分前に、日本企業に最初の導入ブームが到来した。1990年代後半のバブル崩壊後における、成果主義人事の導入時期である。空前の不景気に対するコストカットが前面に出ていたこの時代は、成果に見合った報酬を、という掛け声のもと、年功賃金から成果主義・役割主義の賃金へと多くの企業が舵を切ろうとした時期である。

この時代に、成果主義の前提として、各社員はどのような職務を担い、どのような成果を求められるのかを明示する必要があり、そこで注目されたのがJDであった。各企業で、個人によるJDの作成やJD作成研修などが管理職向けに実施されたのはこの時期である。 

そこで行われていたのは、「まずは自分の職務内容を、網羅的に詳しく書き出してみましょう。あなたに求められる成果は何でしょうか?」という、個人に対する問いかけが中心であった。いわば社員一人ひとりが自らの業務内容を徹底的に書き出す、といった「ボトムアップ型JD」の作成ブームである。

ボトムアップ型JDの限界

このボトムアップ型JDについては、要請される記述内容が詳細かつ多岐にわたる場合が多く、作成工数が非常に負担になったり、管理職などは部下作成JDのレビュー工数も加わったりと、大変な労力が組織内で費やされることが多かった。またせっかく書いたJDも、部門や課内の人員配置による役割分担の変更や組織変更などで、すぐに陳腐化することも多く、そのアップデートにも多くの時間が費やされることになった。現在まで続くJDアレルギーの出発点はここにある。

JDとは、事業戦略が組織に落とし込まれ、一定の抽象度を持った期待役割として整理されるべきものであるが、「今、この瞬間の職務・作業内容の列挙・網羅」で書いてしまっている場合が多かった点が背景にある。また、このようなボトムアップ一辺倒の方法では、事業戦略を組織に、そして最終的に各ポジションのJDに反映するといった組織設計・戦略展開の視点も不十分となる。

後編では、ジョブ型労働市場におけるJDの位置付け、これから求められるJDを前提とした人材マネジメントについて掘り下げる。

著者
前川 尚大

組織・人事変革コンサルティング部門 人材開発プラクティスリーダー

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