スタートアップ買収におけるHR論点(前編) 

07 4月 2021

事業会社によるスタートアップを対象とした投資が活発である。正確な統計は手元にないが、かつてはIPOがスタートアップのExitの定石だったのに対して、ここ最近は事業会社に売却したというニュースを目にすることが多くなった印象がある。

この背景には、各国の金融政策や税制、スタートアップ側の事情など様々なことが考えられるが、買い手である事業会社の側から見ると、イノベーションを求める市場に対する回答の一つとして、スタートアップの買収を位置付けようとしているように思われる。

スタートアップのデューデリジェンスは経営者自身から始まる

通常、友好的M&Aでは、対象会社が想定する事業計画をレビューし、その確度を検証する。そして、買収後のシナジーによるアップサイドの可能性とダウンサイドのリスクを考慮した上で、買収価格を検討していく。ただし、これは対象会社の事業計画がある程度信用できる場合に通用するプロセスである。一方、スタートアップの事業計画は、資金集めのための絵に描いた餅である場合も多い。数年前に米国で発覚した時価総額1兆円規模に“成長“したバイオベンチャーによる詐欺事件はいまだ鮮烈に記憶に残っている。また、最近もあるEVメーカーが実体のない開発計画を公表していたのではないかと話題になった。緩和的な市場環境が続く限り、そして表層的な流行り言葉に乗じる起業家がいる限り、こうした事件は無くならないだろう。

行き過ぎた嘘は犯罪だが、夢は美しく高邁なものだ。まだ実現していない未来のことを語るとき、夢と嘘を分けるのは当事者の心の持ちようでしかない。すなわち自分たちが実現できると信じていれば夢、自分たちすら信じていなければ嘘、ということである。大袈裟ではなく、スタートアップの買収に際しては、経営者自身や経営陣をよく見極め、人間として彼らを信用できるかということからデューデリジェンスを始める必要がある。

買収の目的と手段

幸いにも、上場会社の買収と違い、経営陣へのアクセスは買収検討段階から比較的容易である。むしろ、何らかの協力関係や業務提携から買収検討に発展するのが自然であり、もともと買い手と対象会社の社員は顔見知りということもある。こうした公式・非公式の接点を通じて情報収集を行った結果、その会社の魅力が何名かの社員に集約されるのであれば、その社員を中途採用して買い手のしかるべきポジションに据えて、適切な権限と責任を与えることで、買収するのと同じ効果が得られる可能性もある。株価に影響を与える大きなニュースにはならないかもしれないが、無用なリスクを避けて実を取るには有効な手段に成り得る。

そうした検討を経ても、やはり対象会社、あるいは対象事業ごと買収したほうが良さそうだと判断したならば、次に行うべきは通常のM&Aと同じである。すなわち、買収目的の明確化とそれを達成するための統合の姿(組織、適切な人材配置)の事前検討、および要点を絞ったデューデリジェンスだ。

組織統合を躊躇しない

念のため申し上げると、対象会社がスタートアップだからといって組織統合を躊躇する必要はない。買い手のノウハウが強い部分については遠慮なく買い手の組織に統合したり、買い手の人材をアサインしたりすれば良い。例えば、技術主体のスタートアップであれば、資金調達機能を除く管理機能、販売機能はほぼ無いか極めて弱いはずだ。結果として、買い手の管理や営業の優れた人材を出向させる、あるいは機能そのものを買い手の組織に吸収してしまうというのが基本路線になる。

もちろん、自社にない異質なものを取り込むこととなるだろうスタートアップの買収では、統合の範囲を慎重に検討したくなるのも無理はない。しかし、全体として異質のものを取り込むからといって、そのまま未消化のまま保全した結果、思ったような成果が出ない例も少なくないようだ。

最も避けたいのは、出資額が買い手にとっては相対的に少額で、検討に時間と費用をかけること自体がROIを下げるという社内の雰囲気もあり、とりあえず買ってしまったが、後でいろいろと問題が噴出したり活用に困ったりするケースである。こうした判断ミスが積み重なり、永年にわたって蓄積してきた優良企業の内部留保をむしばむのは絶対に避けなければならない。もし、買収時点で明確なシナジー・活用目的が描けない、いわば当事者である買い手すら信じられる将来計画が無いのであれば、下手をすると夢を買ったことにさえならない可能性がある。その場合は、まずは100%買収に踏み切らず、業務提携や部分出資に留めておくのが賢明だろう。

資本効率の改善とイノベーションを求める市場のプレッシャーに対する分かりやすい回答の一つとして、深い洞察をせずスタートアップを買ってしまう前に、基本に立ち戻ることをお勧めしたい。

 

著者
野坂 研

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