人的資本経営の本質を問う  (第3回) 

人的資本の情報開示の方向性(前編)

日本CHRO協会発行CHRO FORUM第51号(2023年8月号)
※本記事は、日本CHRO協会発行CHRO FORUMのために書き下ろされた記事の再掲載です
第1回第2回では、人的資本が注目される背景や競争優位の源泉である人的資本の特徴、人的資本経営の戦略的な意義について解説した。第3回・第4回では、今年から本格化する人的資本の情報開示にフォーカスを当てていきたい。

1. 人的資本の情報開示に関する政策の動き

1-1.欧米と日本における政策

そもそも、非財務情報の開示の動きが始まったのは1990年代の後半からである。当初、企業活動が地球環境にどのような影響をもたらすのか、その測定方法はどうするか、などについてグローバルなガイドラインや基準を策定することに関心が集まっていた。その後、環境だけでなく、社会や経済、ガバナンスの課題についても、ガイドラインの下、情報を開示していくという考え方が広がり、2015年の国連におけるSDGs採択と相まって、企業経営の非財務情報、さらにはサステナビリティ要素が注目されるようになった。

日本では、1990年代から続く経済の低迷を背景に稼ぐ力を取り戻すべく、2015年にコーポレートガバナンス・コードが制定され、少子高齢化の中でも日本経済を持続的に成長させるための企業価値向上の取組が始まった。また、2016年以降「働き方改革」が推進され、2018年には「働き方改革関連法」が成立、2020年には人材版伊藤レポートが公表された。さらに、2022年8月には、内閣官房・新しい資本主義実現本部事務局から、非財務情報可視化研究会「人的資本可視化指針」が公表され、人的資本の開示について一定の基準が示された。同指針の中で、経営戦略と人的資本への投資と人材戦略の関係性(統合的なストーリー)を構築すること、具体的な開示事項の検討にあたっては、「独自性」と「比較可能性」を意識することが重要であると述べられている。

 

1-2.サステナビリティ情報・人的資本情報の開示の本格化

上記のグローバルな潮流と日本における一連の取組を受け、日本では今年からサステナビリティに関する情報、その中に含まれる形で人的資本情報の開示が本格化し、有価証券報告書の中で、以下の開示が求められる(2023年1月「企業内容等の開示に関する内閣府令等の一部を改正する内閣府令」、同年3月金融庁「有価証券報告書の作成・提出に際しての留意すべき事項及び有価証券報告書レビューの実施について」参照)。

①有価証券報告書等に、「サステナビリティに関する考え方及び取組」の記載欄を新設し、「ガバナンス」及び「リスク管理」については必須記載事項とする。他方、「戦略」及び「指標及び目標」については、各企業がその重要性を判断した上で記載する(重要性を判断した上で記載しない場合でも、当該判断やその根拠の開示が期待される)。

②人材の多様性の確保を含む「人材育成の方針」や「社内環境整備の方針」及び当該方針に関する指標の内容等については必須記載事項とし、サステナビリティ情報の「記載欄」の「戦略」と「指標及び目標」において記載する。さらに、「男女間賃金格差」や「女性管理職比率」「男性育休取得率」の開示を義務化(「女性管理職比率」等の多様性に関する指標については、連結グループにおける会社ごとの指標の記載に加えて、連結ベースの開示に努める)。

③コーポレートガバナンスに関する開示も求めており、取締役会や指名委員会・報酬委員会等の活動状況(開催頻度、具体的な検討内容、出席状況)、内部監査の実効性(デュアルレポーティングの有無等)及び政策保有株式の発行会社との業務提携等の概要について記載する。 

サステナビリティ情報・非財務情報を開示する動きは、グローバルなESGの潮流と相まって様々な領域に広がってきているが、財務情報の開示と比べると、未だ各社がバラバラに開示しているのが現状である。現在、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)が、サステナビリティ全般に関する基準とテーマごとの基準を策定しようとしており、世界標準となる基準になる可能性があり、今後その動きを注視していく必要がある。

2. サステナブル経営における情報開示の意義

サステナビリティに関する情報、特に人的資本情報の開示の動きが高まる中、情報開示そのものが目的になることは避けなくてはならない。では、そもそも何のために人的資本の情報を開示するのか。それは、自社と市場の情報の非対称性を解消するためであると言える。

まず、資本市場においては、投資家向けに人的資本情報の開示を通じて“自社に対して投資する意義”を理解してもらうことができる。そのために、会社としては、自社と他社で共通する領域における「比較可能性」の観点から、人的資本の情報を開示する、さらには、自社の競争優位につながる領域へ踏み込んで「独自性」の観点からも情報開示は重要である。投資家との建設的な対話が行われ、資本コストの低減や投資効果向上といった効果が期待できる。

次に労働市場を考えてみると、人的資本の情報を開示することにより、その会社でどのような働き方ができるのか、どのようなチャレンジや経験が得られるのか、どのような仲間と一緒に働けるのか等の情報が得られるため、その会社とフィット感のある人材を採用したり、社内の人材のリテンションを図ったりする効果も考えられる。

さらに、顧客市場や社会においては、会社のブランドイメージの向上、そして、それを経由した消費行動の高まりといった恩恵を享受できる。

特に人的資本は、他資本と比べて、将来の組織パフォーマンスや企業価値にどのようにつながっているのか、すなわち、人的資本への投資のリターンがどのように得られるのかが見えにくいという特徴がある。だからこそ、会社、そして経営者が、パーパスや経営戦略と人的資本投資の関係性を、自社の競争優位につながるストーリーとして語り、そのストーリーを有価証券報告書等で開示していくことが重要となる。

3. 人的資本の情報開示の要諦

人的資本の情報開示が求められるようになった経緯(上記1)やその意義(上記2)を踏まえると、人的資本情報を開示するにあたっての重要なポイントは、以下のように整理されるだろう。

まず、会社として、将来、何を目指すのか、というありたい姿やビジョン、そして経営戦略を明確にし、それらを実現するためにどのような人材が必要かを把握する。このプロセスがあってこそ、企業価値向上のストーリーを描き、経営戦略と人材戦略を結び付け、そのストーリーに沿って重要施策や開示項目を絞り込むことができる。独自性のある実行戦略や指標を明確にするためには、「指針等に沿って何を開示するべきか?」といった答え探しをするのではなく、「自社の目指す姿は何か、そのためにどのような人材が必要か、必要な人材を獲得・育成するためには、どのような戦略・施策を実行し、その進捗を何で図るか?」という問いを立てるべきである。

2つ目に、企業価値向上ストーリーに合わせた独自性を踏まえつつ、グローバル社会の価値観も踏まえ、対外的に理解されやすい比較可能性の高い指標・目標を設定する。可視化指針やISO30414等の国際基準をチェックリストとして活用しながら、他社との比較において「抜け・漏れ」を防ぐことも重要である。また、人的資本経営を推進するために必要なインフラの整備(ex. データの整備・充実)も、人的資本投資の一環として積極的に検討する必要がある。

3つ目に、「できるところから開示」すること、そして、ステークホルダーとの対話を続けながら、開示した内容へのフィードバックを受け止め、人材戦略や開示内容をステップ・バイ・ステップでブラッシュアップしていくというスタンスを忘れてはならない。情報開示からステークホルダーとの対話が生まれ、自社に何が足りないのか、どのように改善すべきかを知る手掛かりを得ることができる。

4. 人的資本への投資サイクルを回す

人的資本の情報開示は「目的」ではなく「手段」であり、情報開示をする目的は企業価値の向上であり、サステナブルな企業活動の実践であると述べてきた。その文脈で人的資本経営とは何かを改めて考えてみると、“持続的な企業価値向上の推進力となる人的資本に対して、パフォーマンス最大化のための適切な投資を行い、そのプロセス及び結果について、ステークホルダーとの対話を通じて磨き続ける一連のマネジメント”と言えるのではないだろうか。

人的資本への投資の仕方を誤ると人的資本の価値を毀損・減損させてしまう。例えば、個人の志向に合わない異動や配置、市場競争力のない報酬水準、社員の健康に配慮しない過重労働などといった投資がそれに当たる。このようなことがないよう、人的資本への投資を適切に行う必要がある。投資対象である人的資本の成長や自律的なキャリア形成を支援し、他者とのコミュニケーションや協働により、チャレンジや創造性が発揮される社内環境や風土が醸成される。それらが噛み合い人的資本のパフォーマンスが最大化され、企業価値が向上し、生まれる余力・原資によって人的資本へ更なる投資ができる。このようなサイクルを回すことが、社会や会社のサステナビリティの実現につながるのである。

第4回では、人的資本の情報を開示する上で重要なポイントとなる、どのように人的資本への投資ストーリーを構築するかを紐解いていきたい。

執筆者
伴登 利奈

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