雇用流動化の中で退職金の税制が抱える課題と将来像 

携帯電話を使ってオンラインまたは金融決済でお金を送金し、テキストを読んだり、笑顔で笑ったり、幸せで肯定的な笑い声で笑ったりする、アジアの老人の率直な男性。デジタルテクノロジーのコンセプトを持つシニアアジア人。

かつての日本では、「一つの会社に長く勤め、定年退職をする」というキャリアモデルが一般的だった。企業は終身雇用を前提に人材育成し、長年勤めた社員には退職金を支給して老後生活へ送り出していた。こうした前提のもとで設計されたのが、退職一時金に対する税制優遇、いわゆる退職所得控除である。

しかし、現代の日本においてこうした働き方は徐々に減少している。終身雇用からの脱却、いわゆるメンバーシップ型雇用からジョブ型雇用などへのシフトにより、転職や副業等の雇用流動化が着実に進行している。本コラムでは、このような社会変革の中で退職金の税制が抱える課題を整理し、目指すべき将来像について考察する。

1. 退職一時金の税制と課題

退職金を一時金で受け取った場合には所得税等の課税対象となるが、課税額には数段階の優遇措置がある。具体的に、(1)勤続年数に応じた退職所得控除があり、(2)控除後の金額の1/2のみが課税対象となり、(3)その他の所得と分離して課税される、という仕組みとなっている。退職金は老後の生活に必要な資金であり、かつ一時に支給されるものであるため過大な税負担とならないよう、優遇措置が設けられている。このうち、(1)の退職所得控除は以下の算式で計算される。

 

 

勤続年数

控除額

20年以下

40万円×勤続年数(80万円に満たない場合には、80万円)

20年超

800万円+70万円×(勤続年数–20年)

 

例えば、勤続40年で退職した場合には、2,200万円まで非課税となる。一方で、勤続10年で転職・退職一時金を受け取る、ということを計4回繰り返し、合計40年就労した場合、合計1,600万円分(=400万円×4)が非課税となる。このように、同じ年数就労したとしても、働き方や受け取り方が異なると控除額が少なくなる点が、課題の一つであり、改正が検討されている。

直近の改正動向として、2025年税制改正では見送られ、2026年税制改正にて議論されることとなった。SNSやメディアを中心に、「サラリーマン増税」であると多くの批判が政府へ向けられたことは記憶に新しい。では、具体的に退職所得控除についてどのような法改正が起こりうるのか、またそれにより税額にどのような影響が生じるのだろうか。

2. 退職所得控除改正の展望

想像される改正として、勤続年数20年超における控除額の優遇を無くして、勤続年数に対して一定の金額で控除額が増加するような改正がある。

 

 

勤続年数

控除額(改正案)

20年以下

xx万円×勤続年数(80万円に満たない場合には、80万円)

20年超

xx万円×勤続年数(80万円に満たない場合には、80万円)

 

この場合、勤続年数1年当たりの控除額が検討ポイントとなるが、これを勤続年数20年以下に適用される40万円のままとすると単純に増税となり、先述の世間の反応からして実現は困難である。

そのため、勤続年数1年当たりの控除額は40万円と70万円の間の金額とすることが妥当だろう。例えば、この金額を55万円とすると、勤続40年で退職した場合の退職所得控除は2,200万円となり、現在の退職所得控除と同額にできる。また、先述の転職を計4回繰り返す場合でも、退職所得控除の合計額は同額の2,200万円となり、働き方や受け取り方に対して中立な制度となる。当然、勤続年数が40年よりも長い人からは反発の声があがるため、適切な金額を議論・検討する必要がある。

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3. 退職金の上手な受け取り方

これまで退職所得控除の課題と改正案を論じてきたが、そもそも離転職は税金の観点から必ず損になるのだろうか。そこで、退職金制度を上手に活用することで退職所得控除を最大限活用する方法を紹介したい。

一言に退職金制度といっても、制度の種類は複数存在する。主に、企業が独自で実施する退職一時金制度の他に、確定給付企業年金(以下、「DB」)、確定拠出年金(以下、「企業型DC」)、個人型確定拠出年金(以下、「iDeCo」)などがある。

これら年金制度にはそれぞれ特徴があるが、そのうちの一つにポータビリティ(持ち運び)がある。つまり離転職をした場合に、一定の要件を満たせば、退職金を金銭で受け取らずに新しい会社で実施する退職金制度(実施していない場合はiDeCo)への移換ができるというものである。なお、制度毎のポータビリティの要件については、iDeCo公式サイトをご参照いただきたい1

では、このポータビリティを活用した場合、退職所得控除の計算はどのようになるか。まず退職金の移換時では、給付を受け取るものではないため、非課税での移換が可能だ。次に、定年退職等による一時金給付の受け取り時では、退職所得控除の計算は、移換前の期間も含めた合計勤続年数によって計算がされる。つまり先述の転職を計4回繰り返した場合でも、都度ポータビリティを十分に活用すれば、合計2,200万円の退職所得控除を受けることができるのである。

しかし、退職金制度は複雑であるがゆえにポータビリティが一般に理解がされているとは言い難い。また、企業型DCおよびiDeCoは毎年の積立可能額が小さく、そもそも退職所得控除枠を使い切れるほど退職金を積み上げられないケースなど、制度自体の課題もあり、誰でもこのような活用ができるわけではない。退職金制度の世間の認識への浸透と法改正を並行して進めていくことが重要だ。

4. 退職金の税制に残るその他の課題

DB、企業型DC、またはiDeCoのもう一つの特徴として、一定の要件を満たした場合には年金として受け取り可能という点がある。年金として分割して受け取ることにより、使い過ぎを防止できる他、分割した支給期間にわたる利息の恩恵を受けることができる(=一時金で受け取った場合よりも、総支給額が増加する)というメリットがある。

では、実際にはどのくらいの割合で年金受け取りが選択されているかというと、下記の通り大半の人が全額一時金で受け取る、または一部のみ年金で受け取る、という結果となっている。

 

 

 

 

 

DB

企業型DC

個人型DC

年金

24%

5%

10%

年金と一時金(併給)

8%

1%

1%

一時金

68%

9

89%

出所: 15回社会保障審議会企業年金・個人年金部会(2020年9月30日)資料2 よりマーサー作成



要因の一つに、年金受け取りと一時金受け取りの税制の違いがある。年金で受け取った場合にも一定の控除を受けられるが、退職所得控除と比較すると少額である。また、年金で受け取った場合には、その所得が社会保険料の対象となることもあり、一般的に年金で受け取った場合の方が手取り総額は小さくなってしまうという現状がある。

このように、現在の税制は受け取り方(一時金か年金か)に対して中立ではない。しかしながら、ライフスタイルが多様化する日本において、受け取り方の選択肢を狭めるような税制は適切ではなく、受け取り方によらない税制への改正が望ましいと考える。例えば、年金額や支給期間から給付総額相当分を計算し、その金額が一時金として支給されたものとして、一時金受け取りの場合と同様の算式により税金を計算する方法への改正を提案したい。

退職金制度の普及・活用に向けて

退職金に関する税制には様々な課題がある。現在日本では、急速な少子高齢化の進展により労働力が低下、国からの年金が減少、一方で物価が上がり生活が困窮、と、多くの人が生活の不安を感じている。退職金制度はこれらの不安を解消する安心材料の一つとなりうるものである。今後も退職金制度の普及・活用に資するような改正に期待をしたい。
著者
信田 朋輝