駐在員のウェルビーイングと医療保障 

ウォーターフロントとダウンタウンのある日の出のサンフランシスコのパノラマ。カリフォルニアをテーマにした背景。アート写真。

23 5月 2025

海外への赴任は、期待と緊張が入り交じる。筆者もアメリカ移住当時、住み慣れた日本を離れる不安やさまざまな感情があったことを思い出す。実際に渡米すると日本との違いに戸惑うばかりで、中でも医療制度は日米で異なるため、身をもって医療保障の必要性を実感した。自身のアメリカへの赴任と現地での勤務経験をもとに、海外赴任者を送り出す日本企業本社が医療保障枠組み整備の際に考慮すべき点をいくつか紹介したい。

海外生活への準備と医療保険選び

アメリカへの渡航準備の最中に、勤務予定の現地企業から「入国から入社までの期間は個人で医療保険に加入しておくように」と連絡を受けた。日本では国民皆保険制度のもと誰もが医療を受けられるが、アメリカでは、公的医療保険制度は高齢者及び障害者に対するメディケアおよび一定の条件を満たす低所得者に対する公的扶助であるメディケイドに限られる。無保険者の増加が社会問題化する中、2014年から個人による医療保険への加入が原則義務化された。現役世代の医療保障は民間医療保険への加入が主流であり、50名以上の正社員を取要している企業にも従業員とその扶養家族への医療保障提供義務が課されている。筆者も入社後は会社の提供する民間医療保険に加入する予定だったが、入社までの期間はその対象外だったため、自身で保険を手配する必要があった。

図1. 日米の医療制度

content-image-consultant-column-967-1-960x540 *Katherine Keisler-Starkey and Lisa N. Bunch. “Health Insurance Coverage in the United States: 2023”. United States Census Bureau. September 10, 2024. https://www.census.gov/library/publications/2024/demo/p60-284.html

日本国内でアメリカの民間医療保険に相当する医療保険を探してみたが、日本の保険会社には該当する商品は見つからず、先に渡米していた先輩に倣って「海外旅行保険」に加入した。しかし、選択肢がないと理解しながらも、長期滞在の医療保障を「旅行用」の保険で代替することに違和感を覚えていた。渡米直後の慣れない環境の中、海外旅行保険に対して以下の不安があり、体調を崩さないように恐る恐る生活していた記憶がある。

  • 海外旅行保険は、アメリカで正規の医療保険と認められるのか?
  • 個人での医療保険加入に該当せず、ビザが取り消しにならないか?
  • 実際に病院で医療保険と認められるのか?
  • 高額な医療費を請求されないだろうか?
  • 保障範囲外の病気にかかってしまわないだろうか?

駐在員の医療保険は何が主流なのか?

個人での移住ではなく、日本から海外に派遣される駐在員はどのような医療保険に加入しているのだろうか。

マーサー マーシュ ベネフィッツが2023年の春に行った「海外赴任者医療保障に関するスナップショットサーベイ」によると、76社が駐在員医療保障枠組みに海外旅行保険を採用しており、次いで69社が赴任先の現地医療保険を採用している(回答者数100社、複数回答可)。

図2. 海外赴任者への医療保障枠組み 対応状況

content-image-consultant-column-967-2-960x540 出所:「海外赴任者医療保障に関するスナップショットサーベイ」(2023年)を基に筆者作成。

現在、グローバルベネフィットコンサルタントとして日系グローバル企業の海外人事担当と話す中でも、実際に海外駐在員に付保している医療保険は「海外旅行保険」「現地医療保険」、そして「海外旅行保険+現地医療保険」のいずれか3つのケースが多い。

海外駐在員のための医療保険に海外旅行保険が選ばれている理由の一つとしては、それ専用の医療保険商品が日本にないからだ。短期旅行を前提としているため、予防医療・歯科治療・妊娠出産・既往症などが含まれず「居住者」として長期滞在するための医療保障としては不都合が生じるケースも多々ある。加えて、アメリカでは正規の医療保険として認められていないため高額な治療請求へつながるケースもある。実際に海外旅行保険に加入していた知人は、アメリカに1年間のみ滞在予定だったにもかかわらず虫歯治療のために弾丸で一時帰国していた。往復航空運賃は$1,200程度だったが、それを上回る治療費を提示されたということである。

企業が提供できる最適な医療保険とは?

欧米グローバル企業では、「海外給与」「各種手当」「医療保障」を海外赴任者処遇の3本柱と位置付けているが、日本企業の医療保障は、まだ発展途上にあるように思える。前述の通り多くの日系グローバル企業では海外旅行保険と現地医療保険のいずれか、または両方を採用しているが、選択に悩む海外人事担当者も多いだろうと拝察する。実際にこれらの保険を現地で利用した筆者の視点から、医療保障を選ぶ際の考慮点を以下に示したい。

  1. 各国のコンプライアンスに準じた、正規の医療保険とみなされるか
  2. 定期健康診断・歯科治療・妊娠出産など、移住に適切な保障範囲であるか
  3. 会社の方針に沿った医療費自己負担額の設計が可能か
  4. キャッシュレスやマルチ言語対応など、利便性が考慮されているか
  5. 処遇水準とコストの双方において、企業として持続可能な枠組みであるか

海外人事担当者と話す中で、処遇の観点から海外駐在員の医療保障改善が俎上に上るケースが増えてきている。実際にアメリカで生活し日本との医療保障との違いに困惑した筆者には、駐在員の医療保障の重要性が身に染みる。より多くの日本企業において、駐在員のウェルビーイングという観点から現行の医療保障枠組みの検証や見直しが進み、海外駐在員が安心できる環境が整うことを、切に望みたい。

著者
千綿 千恵子