日本の多国籍企業における海外福利厚生を考える 

脳手術中に磁気共鳴画像法(MRI)による脳スキャンを調べる外科医。

17 7月 2023

海外における福利厚生の重要性

1970年代以降、グローバリゼーションの流れを受けて、日本企業は海外への事業の拡大を進めてきた。外務省のデータ*1によれば、海外に日本企業が設けている拠点数は約7万7千以上である。多国籍企業にとって海外へ事業を拡大する上で資金や原材料の調達も重要だが、直近の新型コロナウイルスによって起きた医療や健康に対する変化を見ると、現地従業員が安全に働ける環境も同様に重要ではないだろうか。本稿ではその環境整備に寄与する現地従業員の福利厚生制度、その中でも医療関連に焦点を当ててみようと思う。

従業員は企業にとって日々の事業活動を支える大切な経営資源であり、多国籍企業には各国現地の従業員が抱える様々なリスクへの備えが求められる。疾病や傷害といった、健康上のリスクが一例として挙げられるだろう。しかし、日本で暮らす人にとっての疾病や傷害リスクと、海外で暮らす人にとってのそれとでは、指し示す言葉が同じでも意味合いが少々異なるかもしれない。

2022年のWHOの調査*2によれば、日本は平均寿命が世界第1位の84.3歳である。これを支えている要因の一端には、子供から高齢者まで全国民を対象とする日本の国民皆保険制度の仕組みが挙げられるだろう。日本では医療費は公定価格で決められ、健康保険証があれば窓口で総診療費の約3割を支払えば医師の診療を受けることができる。日本で生まれ育った筆者にとっては慣れ親しんだ仕組みであるが、世界的には稀有な仕組みとも言える。

日本から一歩外に出れば医療費は自由価格である場合が多く、国の社会保障制度も限定的で医療機関を受診した際の保障範囲・金額が十分でないため、高額な自己負担が発生するケースもある。米国の一例を挙げると、1回救急車を呼ぶと30万円、一日入院で100万円を請求される、といったケースもある。これらを補うため現地で事業を展開する多国籍企業が導入している制度の一つが、企業が現地従業員に提供する福利厚生保険である。現地法人や関連会社の福利厚生保険が充実しているほど、競合他社との差別化が図られ、優秀な人材の獲得・リテインへとつながりやすい。

この福利厚生の位置付け・重要性は従来から指摘されてきたが、昨今のグローバルで起きている変化によって、その重要性は増しているのではないか。そして、その一端にあるのは2020年から始まったパンデミックによる影響だと考えている。

変化する海外の医療事情

パンデミックにより、私たちのライフスタイルや価値観は変化した。その中には、「健康」に対する変化も含まれるのではないだろうか。2022年にマーサーが実施した調査*3によれば、COVID-19によって2021年から医療保険の請求金額が増加したと答えた保険会社がグローバル全体で約58%、その内、メンタルヘルス関連のサービスの利用請求が増加したと答えた保険会社が全体の約40%を占めた。

世界中で垣間見られるこの動向は、パンデミック間の「医療控え」の反動と、医療サービスに対する需要の変化であると考える。COVID-19の感染拡大が猛威を振るっていた時期は、ソーシャルディスタンスへの意識・飛沫感染の恐れなどから医療機関の受診を控える傾向が見受けられた。しかし、感染拡大期を経て、目の前で起きている変化に対応するため、福利厚生制度の見直しを行ってきた企業もある。

世界で最も医療費が高額と言われている米国でマーサーが2023年に実施した調査*4によれば、過去3年間に渡ってメンタルヘルス関連をはじめ、従業員や家族の相談を受け付ける従業員支援プログラム(Employee Assistance Program)を拡充したと回答した企業が全体の約69%、その内約59%が「効果があった、あるいは非常に効果があった」と回答している。この従業員支援プログラムは企業が特定の保険会社や専門のベンダーに外注して提供することが多いため、企業にはコスト負担が発生している。もちろん、日本と米国で一概に比較はできないが、従業員が安心して働ける環境整備にコストを投資する姿勢は、参考に資するのではないだろうか。

これからの日本の多国籍企業に必要なこと

翻って日本の多国籍企業は、グローバルで起きている変化を認知しているだろうか。そもそも、自社が海外に保有する現地法人や関連会社がどのような福利厚生制度を導入しているかを把握しているだろうか。今、日本の多国籍企業に必要なことは、まず現地の福利厚生の現状把握だと筆者は考える。具体的には現地の制度内容、制度の維持に生じている費用、そして現地の競合企業と見比べたときの水準、などである。特に費用面では、福利厚生保険には維持コスト=保険料が発生しており、先述した「医療控え」の反動による請求の増加傾向が今後も続くと仮定した場合、翌年・翌々年の保険料に跳ね返り、現地に更なるコスト増が発生する可能性がある。特に保険と言う商品の性質上、値上がりは早いが下げることは容易ではないため、まずは現状の可視化を出発点として提言したい。

自社の福利厚生制度を再度把握し、必要に応じた内容の見直しが、日本の多国籍企業に今後は必要ではないか。本稿が世界各国に現地法人・関連子会社を持ち現地で従業員を雇用している日系多国籍企業にとって、新たな気付きや社内での新たな取り組みを一考いただく一助になれば幸いである。

*1 外務省 海外進出日系企業拠点数調査 2021年調査結果
*2 World health statistics 2022: monitoring health for the SDGs, sustainable development goals
*3 MMB Health Trends 2023、参加保険会社226社
*4 Mercer Survey on Health & Benefits Strategies for 2024、参加企業721社
著者
田中 雄紀
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