これからの日系企業の組織・人事の在り方~法治主義か人治主義か 

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28 3月 2019

筆者は組織設計・人事戦略を主に担当している。そのため、組織機構・運営ルールの在り方や、人材マネジメントの方向性に関して、クライアントと日々議論をさせて頂く機会が多い。

組織と人材の議論は表裏一体である。どれだけ綺麗に組織図(ハコ)を作っても、ハコに入るヒトが伴わなければ(適材適所なくしては)、額縁に入れて飾る以外に使い道はない。逆に、どれだけ優秀なヒトを揃えても、しかるべき責任・権限を付与しなければ(同じく、適材適所なくしては)、これまた宝の持ち腐れである。ハコとヒトが整合して初めて、あるべき体制が整い、組織としてのパフォーマンスが最大化される。

最近、筆者がコンサルティングの現場に身を置いていて、面白い事実に気づかされたことがある。それは、日系企業のクライアントと議論をしていて、組織の作り方を論じるときは「法治主義」的な要素を勧めることが多いのに対して、人材マネジメントの在り方を論じるときは「人治主義」要素を意図的に入れ込むことを勧めることが多いという事実である。

どういうことか?

組織の設計で、最近、よく引き合いを受けるのは、グローバルに拡大した組織のガバナンスの在り方、グローバル最適とローカル最適の二兎をいかに組織設計上バランスよく追求するか、という悩みである。地理的にビジネスが広がると、経営トップがすべてを管掌することは不可能である。結果、マネジメントの分業制をとらざるを得なくなる。このとき、一部の日系企業は、米系企業のように、ジョブディスクリプションを作成して、個々の守備範囲を明確にすることを好まない。そのため、どうしても三遊間(責任の不明確な領域)が生まれてしまう。このような事態を防ぐためには、法治主義化(ルールの明文化)を進めて、責任・権限の曖昧さを排除するべき、というのが筆者の論調である。

では、人材マネジメントの方はどうだろうか?筆者が最近よく口にする提言は、グローバル化/デジタル化の進展によって不確実性が格段に増した現在では、従来のように、会社が目指す方向性を北極星のごとく定めて、そちらに向かう動機付けを人事制度で固定化しきることは難しい、という事項である。端的に言えば、そのようなアプローチは、変化に対する柔軟性を欠く。そのため、ここでは人治主義の要素を意図的に残すことを勧める。すなわち、マネージャーの裁量を広げることで、現場目線で最適解を都度導き出せるようにする方が、変化に対するアジリティを培うことができるという考えである。パフォーマンスマネジメントや、HR-BP機能強化(事業部への権限委譲)のムーブメントは、こういった現象がトレンド化したものであると考えている。

この事実は、個人的に非常に興味深い。組織と人材は表裏一体である。にも関わらず、一方で法治主義を勧め、一方で人知主義を勧めている。この事実をどう解釈すればいいのだろうか?(筆者の助言がそもそも的を射ていない可能性もあるが…)

筆者の結論(便法?)は、いずれも間違っておらず、両方が日系企業にありがちな“ムラ社会的な仲間意識”を同根に持つ課題を解決するための提言と考えている。すなわち、“ムラ社会意識”に支配された一部の日系企業は、個々人の縄張りを明確化することを好まないため、役割分担を曖昧なままにしたがる。その一方、“ムラ社会意識”を美徳として持つ一部の日系企業は、同じ船に乗る社員間の公平性を何より重視するため、報酬を分け合うルール、すなわち人事制度は綿密・精緻であることを好む。組織の構成員は皆が仲間。その意識が強烈に働くがゆえに、組織は人治主義的に緩いルールで統治し、人事の仕組みは法治主義的に厳密なルールに基づいて作ったほうが心地よい、という方向に振れるのではないか、と筆者は考えている。

仮にそうだとしたら、なぜ、その是正を勧める機会が増えているのだろうか?ムラ社会意識に根ざした経営手法が、ある局面で強みを発揮することは、高度経済成長期の日系企業の躍進を例に出すまでもなく、事実である。しかし、当該経営手法は、ある一点において非常に不向きである。それは、現場への権限委譲を進めること、それによって意思決定の迅速化を進めることである。そもそもが不明瞭な権限を委譲することなどできないし、細部に作りこまれたルールは、一つ一つの柔軟な(ときに例外的な)意思決定の妨げになる。このような統治構造下では、あらゆる意思決定が上位にエスカレートされざるを得なくなる。組織の長に果断な意思決定を下せるリーダーがいればまだいいが、そこですらも合議のメカニズムが強く働くとなると、迅速な意思決定など望むべくもなくなってしまう。

筆者は日系企業の“ムラ社会意識”を決して悪だとは思わない。ただ、現在の経営環境を生き延びるために、それがネガティブに働くのであれば、そこは変えなければならない。何を法治主義で統治し、何を人治主義に委ねるべきか、改めて議論をしてみてもよいかもしれない。

著者
大路 和亮

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