「過疎化」する企業、しない企業 

28 10月 2021

少子高齢化と地方の過疎化

和訳あるいは英訳する際に難儀する言葉といえば、何を思い浮かべるだろうか?私は「Integrity」を前にすると、毎回どのように訳すべきか頭を悩ませている。マーサーの「グローバル年金指数ランキング」でもIntegrityという項目があり、さんざん悩んだ末に「健全性」と訳しているが、今でもしっくり来ていない。

逆に、英訳する際に悩むのが、「過疎化」である。あえて英訳するならば、「Population decline in rural area」だろうか。

人口が都市部に集中することを過密と呼ぶのに対し、主に農村部で人口が社会インフラの維持が困難になるレベルまで減少することを指して、過疎と呼ばれるようになったそうである。英訳が難しい理由としては、主に英語圏でそういった現象が社会問題化していないことが挙げられる。特にイギリスなどでは、現役中は都市部に住んだとしても、リタイア後は田舎で庭いじりに励みたいというシニアが多いそうで、イギリスらしい理由にほっこりする。

過疎化の理由については様々述べられているが、主要因の一つが少子高齢化であることに異論はないだろう。全国的に少子化による人口減少が進むと、もともと人口の少ない農村部に大きな影響が出て、社会インフラの維持が困難になる。しかし、それだけではなく、居住の流動化に伴う主に若年層の転出も大きな要因だ。従来、過疎化の問題は高度成長期の急速な工業化に伴い、農村部から都市部へと若い働き手が流出した頃に発生したとされている。その後80年代からは主に人口の自然減による緩やかな過疎化が進んだが、過疎対策関連法の規定にも関わらず、農村部の過疎化に歯止めがかからなかった結果、平成の大合併へとつながったのは明らかだ。

前述の通り、過疎化への対策として様々な関連法の策定や地方自治体による工夫がなされているものの、一部の自治体の例外を除き全体としては過疎化が進んでいる。この過疎化対策の難点は、いったん人口減少に陥ると産業の振興が阻害され、職やコミュニティの魅力が失われ、さらなる人口流出につながるという負のスパイラルである。一部の自治体では若者の移住促進につながり、過疎化対策に成功しているが、それはあくまで若年世帯という限られたパイの奪い合いに勝利したに過ぎない。少子高齢化のマクロトレンドの中では全体としての成功とはいえないだろう。

コミュニティの流動化と過疎化

高度成長期に職を求めて多くの若者が都市部へと移動したことが現在の過疎化の遠因となっている。とすれば、居住の流動化が過疎化につながっているとも考えられるが、これは昨今の雇用の状況にも似ているのではないか?

従来のメンバーシップ雇用下では雇用の流動性に乏しいため、新卒採用を乗り切ればコミュニティの人口動態はある程度安定している。一方、ジョブ型はもとより、雇用の流動性が増すと、魅力に乏しいコミュニティからは特に若年層の人口流出が起きる。ただでさえ少子化により優秀な新卒の獲得競争が激しくなっているのに加え、せっかく採用した若手に去られると、新卒への依存がさらに増す。

加えて、農村部の過疎化同様、負のスパイラル効果も見逃せない。過疎地域の人口動態を指して、還暦でもまだ青年部などと揶揄されることもあるが、コミュニティの維持にかかるコスト負担の不公平感も人口流出に拍車をかける。高齢者の生活維持のためのコストを若年層が払うという形であれば、残れば残るほど負担コストが増すため、我先にと脱出が加速するのも想像に難くない。

雇用の場においても、組織である以上ヒエラルキーが存在し、下働きの若手の上で管理職が指示を出すという形が取られてきた。しかし、若手が流出するコミュニティでは結果的に残った者に負担が増し、昇格の目途が立たない中、ルーティンワークに励もうという意欲も湧かなくなる。その結果、企業でも農村同様に抜け出すことが大変困難な、過疎化の負のスパイラルに陥ることとなると考えるのが現実的ではないだろうか。

実際にこの傾向は中小企業を中心に既に発生しているのではないだろうか。従来の雇用と生活の安定を求める「寄らば大樹の陰」の傾向からすると、減少する新卒採用競争の激化のしわ寄せが新卒採用力で劣る中小企業を中心に押し寄せることは容易に想定できる。後継者不足で廃業を余儀なくされるケースや、事業承継のためのM&Aの支援など、目にされることも多いと思う。昨年末の菅内閣での成長戦略会議で、中小企業の生産性向上を目指して中小企業の再編を後押しするような税制などの支援策が検討されたが、これなどは平成の大合併の企業版をそのまま再現されているような気がしてならない。

優秀な若手人材のエンゲージメントのために

少子高齢化の波はいわゆるマクロトレンドだ。日本経済全体として、緩やかな過疎化の波は避けられないが、その中でも過疎化対策に成功している自治体は存在する。優秀な若手人材という限られたパイの奪い合いに勝ち続けるためには何が必要なのだろうか?

残念ながら、これで万事解決!というような処方箋は存在しない。そして、これまた当たり前だが、「若手の求める労働の対価」と、「自社が提供できる付加価値」を上手くつなげる、という事に尽きると思う。

一つ例を挙げると、東大京大などのトップ大学の就職人気先ランキングなどを見ると、必ずしも雇用が保証されているわけではないプロフェッショナル・ファームがランクインする傾向が続いている。一昔前はいわゆる大企業が中心だったのを鑑みると、自分の能力に自信のある優秀な人材であればあるほど、雇用の安定よりも短期間でのスキル習得により魅力を感じるのではないかと推察する。いわば、「一生食っていけるスキルを身につけること」が逆に将来の生活の安定へとつながる、と考えているのではないか。

そのような若手はたとえ採用できたとしても、さらなるキャリアアップを目指して長く居つかない可能性が高い。優秀な若手のリテンションは大変重要なテーマであるが、そこはある程度の割り切りが必要だろう。5年頑張ればどこに行っても食べていけるキャリアを築ける、というメッセージで継続的に優秀人材の採用に成功していれば、ある程度退職することは織り込み済みでも事業は回るのではないか。むしろ長期にわたって勤続してくれる人材を求めるあまり、特にビジネス環境変化の激しい業界にフィットしない人材を採用してしまう方がリスクと捉えるのが正解ではないか、とすら思う。

もう一つの「自社が提供できる付加価値」の例として、地方再生の一環として「THE291」と呼ばれる福井県の取り組みを紹介したい。これはメガネフレーム国内生産の100%近くを占める鯖江市を中心に、福井県のメガネの産地統一ブランドとして設立され、独自の審査基準を設けることで質を担保し、グローバル市場に積極的にアピールすることを目的にしている。品質やデザインのオリジナリティといった元からある競争優位性を活かし、新たな市場に対するマーケティングの工夫が大変興味深い。かつ地方から直接グローバル市場へのアプローチとして、地方再生のモデルケースとして是非とも成功してほしいと陰ながら応援している。

過疎化する国、しない国

最後に、コミュニティの過疎化論の行き着く先は、国単位での過疎化の可能性だろう。居住の流動化が地方の、そして雇用の流動化が企業の過疎化をもたらすように、国籍の流動化が国単位の過疎化をもたらすのではないかと危惧するのは杞憂だろうか。

しかし、例えば韓国などでは若者が就職難から日本を含む海外の国で就職することを希望するケースが増えている。2018年には韓国の国内企業の新規求人数がわずか97,000件だったのに対して、K-moveと呼ばれる政府の海外就職支援を利用して海外で就職した人数は6,000人弱にも上ったそうだ。無論、全体の数からするとまだまだ微小だが、過疎化の本当の恐ろしさは、いったん負のスパイラルに陥ると抜け出すことが大変困難なことにある。ただでさえOECD加入国で唯一合計特殊出生率が1を下回る現状に加え、このような若者の海外就職が加速すると、国自体の過疎化、ひいては国体の維持が困難になる可能性も想定せざるを得ないだろう。まさに国単位での限界集落化を想像することは夢物語には思えない。

South Korea's latest big export: Jobless College graduates, Reuters, MAY 13, 2019
ニッセイ基礎研究所「韓国は本当に人口減少で消滅するのだろうか? (2021年9月7日)」によると、2020年の合計特殊出生率は0.84

振り返って本邦であるが、確かに合計特殊出生率は韓国ほど低くないし、幸か不幸か、海外での就職を希望する若者もそれほど多くはないという現状だ。しかし、内包する構造的問題は韓国と変わらないのではないだろうか。速度の差こそあれ着実に進む少子化の流れ、移民の積極的な受け入れに対する様々な課題、高齢者の生活を現役が支えるという年金の賦課方式に代表される世代間相互の仕組み、そして加速化するグローバル化と雇用・居住の流動化。どれを取っても日本の過疎化の可能性を示唆こそすれ、否定する要素に乏しいように感じる。これまた幸か不幸か、海外で就職し、生活するだけの英語力に乏しい、という実に後ろ向きな理由で海外移住が加速していないものの、英語教育に力を入れるのを止めようという極端な鎖国政策が支持されるはずもない。

もっと前向きな解決策としては、若者にとって希望を持てる、雇用でいうところのエンゲージメントを高めるような国にすることだが、これほど「言うは易し、行うは難し」なことをさらっと書いてしまうことにすら躊躇してしまう。対策が難しいという事は十分承知の上で、この過疎化の問題は、各企業、そして日本と、即効性は無いものの、着実に迫っている脅威だという事を自分事として正しく認識してほしいと願うばかりである。

著者
北野 信太郎

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