イノベーションを生みたくば、「わきまえる」な
19 4月 2021
手段が目的と化した「女性理事の割合4割」
そもそも今回の騒動は、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(以下、組織委員会)が、スポーツ庁がまとめた競技団体の運営指針であるガバナンスコードが掲げる、「女性理事の割合4割」を満たしていないことに端を発する。理事の数だけを満たしてもわきまえない人ばかりで会議がまとまらない、という主張が女性蔑視だと批判が殺到している。(いやいや、発言の趣旨はそうではない、とする意見があることは承知している。だとしても、トップが不用意に誤解を招く発言をする、という別の観点からやはり不適切だと思われる。)
よくよく考えてみると、手段が目的になってしまっている例として、もっと批判されるべきではないだろうか。
ここでいう手段とは、「女性理事の割合を4割」であり、本来の目的とは、多様なバックグラウンドを持つ人を意思決定に参加させ、さまざまな意見を積極的に取り入れることではなかったか。それにもかかわらず、「わきまえろ」という発言は、多様な意見を取り入れる気がさらさらない。結果、「女性理事の割合を4割」にすることが目的化してしまい、そのようなクオータを課されることに、実に素直に不満を述べてしまった。それが、ことの顛末だろう。
理事会の構成は果たして多様性に富んでいるのか
また、上記の件を受けて、3月初めに新たに12名の女性理事を加え、理事会における女性比率が42%まで引き上げられた。全員のプロフィールが開示されている訳ではないので定かではないのだが、改めて顔ぶれを見てみると、若年層、とりわけ30代以下の理事はいない、もしくは皆無ではないか?アメリカ副大統領のカマラ・ハリス氏は、就任直後のインタビューで、ホワイトハウスならびに国会の人員構成が、アメリカの人員構成そのものを表せるように努める、と答えている。それに比べると、組織委員会の理事会の構成が、平成30年時点で日本の人口の40%弱を占める30代以下の声や意見を全く無視しているのは、どういうことだろうか。
筆者個人としては、「わきまえろ」発言の根深さは、ジェンダーよりも世代間の多様性の方が根深いのではないか、と感じている。永らく儒教の長幼の序が重んじられてきたわが国含むアジアでは、若年者に対して「わきまえろ」という有形無形のプレッシャーが存在することに異論を唱える向きは少ないだろう。
雇用の現場でも世代間の多様性と心理的安全性にスポットライトを
職場においても、グーグルのリサーチチームが「効果的なチームワークの条件」と発表したことでも知られる、「心理的安全性」を高めるための取り組みを行う企業が増えてきている。心理的安全性とは、職位などの属性に関わらず、自身の考えを自由に発言したり行動したりすることを指す。本来の目的である、多様な意見を取り入れイノベーティブなアイデアを生むことを目指すのであれば、手段であるジェンダーや人種、性的嗜好や年齢の多様性を尊重することと併せて、心理的安全性の確保は必須条件だ。
しかし、日本では職位やジェンダーなどの属性よりも、年齢による心理的安全性の阻害の影響が大きいように感じるのだが、いかがだろうか。例えば、いわゆる「年上の部下」を持つとやりにくいのは、職位よりも年齢の方が心理的安全性の阻害要因となっているからではないか、と想像する。
2021年4月1日から改正高齢者雇用安定法が施行され、70歳までの雇用が努力義務となった。高齢な人材の活用は、ダイバーシティの観点からは良いことのはずだが、上記の通り年齢による心理的安全性の阻害、もっとありていに言えば「わきまえろ」が克服されない限り、本来目標としている意見の多様性は達成されず、高齢者の雇用が目的化してしまうのは火を見るよりも明らかだ。尤も、今回の高齢者雇用安定法の改正は、高齢化社会における施策の一つとして国から「押し付けられた」格好になっているのは否定できない。結果、高齢者の雇用が「目的化」してしまう企業がほとんど、というのもやむを得ないのかもしれない。
仮にそうであっても、努力義務となった以上、各企業において更に高年齢層の社員が増えることは避けられない。だからこそ、「わきまえろ」が社内の自由闊達な意見交換、ひいてはイノベーティブなアイデアの創出の阻害とならないよう、心理的安全性の確保がこれまで以上に重要になってくるともいえるだろう。
雇用の現場でも、そしてオリンピックの組織委員会の運営でも、より世代間の多様性と心理的安全性にスポットライトを当ててほしいと願うばかりである。