早期帰任を防ぐ、帯同家族と赴任者を守る医療保障の枠組み
31 7月 2026
赴任者が予定よりも早く帰任することになった、という話は時々耳にする。事業環境の変化などやむを得ない事情もあるが、それ以外の理由には、会社としても本人としても不本意なものが少なくない。その理由としてよく聞かれるものに「現地に馴染めない」という声がある。
そして、馴染めない日々の悩みやストレスは、心身の健康——とりわけメンタルヘルスと地続きである。本コラムでは、“心身の不調”という切り口から、早期帰任を防ぐために企業ができることを考えていく。
赴任者と帯同家族への影響
想定外の早期帰任のコストは決して小さくない。会社にとっては、赴任前後の業務引継ぎや渡航準備、現地での生活立ち上げにかけた時間とお金——多額の投資が回収できないまま終わる。後任の手配やプロジェクトの停滞への波及も避けられない。本人にとっても、志半ばでの帰任は、思い描いていたキャリアプランの見直しを迫られることにもなる。
そして見落とされがちなのが帯同家族だ。近年は、帯同のための休職制度や同行配偶者の就労支援制度を設ける企業も増えてきた一方で、日本での仕事を辞めて帯同する配偶者も少なくない。子どもも転校や言語の壁を乗り越える。早期帰任は、その家族全員の積み重ねを一度に崩してしまう。
不調は「重症化してから」表面化する
現地に馴染めない悩みは、孤立感やストレスとなって少しずつ心身をむしばんでいく。難しいのは、それが「重症化してから」表面化しやすいことだ。
筆者自身、夫の海外赴任に帯同しドイツで暮らしていた頃、気づかぬうちに気分が沈んでいく時期があった。日照時間の短い土地では意識してビタミンDを補うのが一般的だと当時は知らず、不調の原因もわからないまま過ごしていた。友人に勧められてようやくサプリメントを補い、体が軽くなって初めて、「知らなかっただけで、こんなに長く放っておいてしまった」と気づいた。不調は、本人ですら気づけないことがある。
とりわけ帯同家族の不調は周囲から気づかれにくい。キャリアの中断や、言葉の通じない環境での孤立を一人で抱え込み、赴任者本人より先にメンタルヘルスに不調をきたすこともある。そして、帯同家族が倒れれば、赴任者も帰任を余儀なくされる。
では、なぜ心身の不調は手遅れになるまで放置され、気づかれないのか。
現地で暮らして見えた、心身の不調が気付かれない理由
まず、健康上の問題について。そもそも、現地の「医療」の実態が分からなくて怖い。筆者自身、現地の病院に一人で行くだけでもかなりの勇気が必要だった。結果として「もう少し様子を見よう」と先延ばしにしてしまう。また、「いざとなればすぐ病院に行ける」という日本的な感覚も、海外での受診後回しを後押ししてしまう。さらに、病気の早期発見に重要な役割を果たす健康診断を、日本への一時帰国時にしか受けられない仕組みにしている企業も多い。これだと、再検査や要注意の項目が出た時の対応が難しい。
メンタルヘルスの不調はさらに難しい。日本人はそもそも、心の不調を外部に相談することへの心理的ハードルが高いと言われる。海外では、不調の予防や早期発見、職場復帰のためにEAP(従業員支援プログラム)と呼ばれる外部相談窓口を会社が福利厚生として提供し、従業員や家族が利用することは一般的だ。一方、日本人はこうしたサービスの認知度が低く、使う場面も想像しにくいため、不調が重症化してから対応することになる。
そして、会社がせっかくサポートを用意していても、それが帯同家族にまで届いていないことも少なくない。実際、日中を一人で過ごす配偶者や、新しい学校に通う子ども達は、慣れない環境で体調を崩しやすい。医療費を使うのは本人だけではなく、帯同家族が相当の割合を占めていることも、見落とされがちな点の一つである。
早期帰任を防ぐために、企業が出来ること
「馴染めない・気づかない → 悪化 → 帰任」。この流れを止めるために、企業に包括的な医療保障の枠組みが必要なのはなぜか。それは、不調を「早期に発見できる」機会と、悩みを「声に出せる」場所を、赴任者と家族の手の届くところに置くためだ。単なる福利厚生のコストではなく、赴任という投資を守るリスク管理として、企業にできることは大きく二つある。
一つは、現地でのサポートを「用意する」こと。たとえば、自宅からまず相談できるオンライン診療は、現地医療機関受診のハードルを大きく下げてくれる。健康診断も、日本への一時帰国時ではなく赴任先で受けられるようにしたい。万一、二次検査が必要になってもすぐ日本へ戻れるとは限らず、現地で受けられればそれがそのまま早期発見の機会になる。あわせて、現地に馴染めない悩みや孤立感を気軽に話せる相談窓口を、本人だけでなく帯同家族も使える形で整えたい。そして、大病でも保障の上限に阻まれない手厚い医療保障も欠かせない。
もう一つは、それを「わかりやすく届ける」ことだ。赴任前の膨大な準備の中で医療保障については見向きもされず、もちろん家族に伝える余裕はないだろう。従業員向けのメール一通では読み流されてしまうため、印刷して持ち帰れる家族向けの資料を用意している企業や、帯同家族向けの赴任前説明会を実施している企業もある。さらに、各種サポート窓口の散在もわかりにくさの一因だ。医療に関する申請や問い合わせについて、「これは本社に、これは現地に、これは外部ベンダー——」では、誰も使いこなせない。サポートはできるだけシンプルな枠組みに束ね、入り口を一本化することが望ましい。
早期帰任のすべてを防げるわけではない。しかし、心身の不調が絡む早期帰任は、早く気づき、声を上げられる仕組みによって避けられるものでもある。そしてその仕組みは、赴任者本人だけでなく、同じ土地で同じ日々を過ごす帯同家族に届いてこそ意味を持つ。一人の帰任は、決して「一人分」では終わらない。
赴任者とその家族の健康を守ることは、赴任の成功を守ることでもある。今こそ、その仕組みづくりに目を向けるときではないだろうか。