新たな章のはじまり

海外赴任者と帯同家族の医療保障 

21 10月 2025

筆者は本年7月、奈良春日野国際フォーラムで開催された第29回日本渡航医学会学術集会に参加し、産業医をはじめ渡航医学に関わる医療従事者の方々の講演や生の声を拝聴した。そこで目の当たりにしたのは、海外赴任者のみならず、帯同家族の健康管理に頭を悩ませる産業医の姿であった。

海外赴任者処遇の変化

かつては海外赴任辞令が発令されれば、単身赴任でも喜んで赴任するという考え方が一般的であった。海外赴任はキャリアの象徴であり、昇進のチャンスとして憧れの対象でもあった。しかし、従業員の価値観やライフスタイルの多様化に伴い、海外赴任はプライベートに大きな負担を強いるものとして、ネガティブに捉えられるケースも増えている。

現在、多くの企業で「海外赴任者のなり手不足」が深刻な課題となっている。こうした状況を受け、家族の帯同を前提とした赴任者処遇が検討されるようになったものの、海外赴任者、とりわけ帯同家族への医療保障体制は依然として十分とは言えないのが日本企業の現状である。

日本企業の海外赴任者医療保障の課題

多くの日本企業は、日系損害保険会社の海外旅行保険を医療保障の中心に据えてきた。しかし、この保険は婦人科健診や小児健診、予防接種、出産、精神疾患、既往症、歯科治療などをカバーしておらず、帯同家族の多様な医療ニーズに十分に応えられていない。さらに、利用状況の把握も困難であり、実態の見えにくさが課題となっている。

マーサージャパンが2025年4月に実施した「海外赴任者の医療保障に関する調査」(日本企業649社参加)では、赴任者からの相談で「出産」が3位、「不妊治療」が6位に挙がり、帯同家族に関わる医療ニーズが企業に多く寄せられていることが明らかになった。

「グローバル医療保険」と帯同家族の医療ニーズ

こうした背景から、従来の海外旅行保険に代わり、予防医療や出産、既往症にも対応可能な駐在員専用の「グローバル医療保険」への切り替えが進んでいる。欧米企業が先行して利用してきたこの保険は、近年日本企業の導入も増加している。

「グローバル医療保険」のリーディングカンパニーであるCigna Global社の協力を得て、マーサージャパンとの共同顧客である日本企業の保険利用データを分析したところ、保険請求金額は帯同家族によるものが赴任者を上回り、予防医療の利用率やメンタルヘルス関連の医療費においても帯同家族の割合が高いことが判明した。さらに、1億円相当を超える高額医療費の発生件数の大半も帯同家族が占めている。

帯同家族のサポート需要と企業の認識ギャップ

このように、帯同家族のサポート需要は赴任者以上に大きいことが数字にも表れているが、企業はこの実態をどのように認識しているのだろうか。「海外赴任者の医療保障に関する調査」では、企業における医療保障の最大の課題として「コストコントロール」が挙げられ、「医療保障枠組みの不統一」や「事務負荷」がそれに続いた。実態として帯同家族のサポート需要は大きいものの、実態把握の難しさもあり、課題として十分に認識されているとは言い難い。こうした認識の乖離が、冒頭で述べた産業医の悩みの背景にもなっていると考えられる。

帯同家族を取り巻く今後の医療保障の展望

海外赴任に対する考え方の変化に加え、「人的資本経営」や「処遇改善(賃上げ)」の流れを受け、海外赴任者の待遇改善に向けた企業の動きは加速している。しかし、帯同家族に対する関心はそのサポート需要の大きさに比べて必ずしも十分とは言えない。

赴任者本人は体力もあり健康上の問題が少ない場合も多いが、帯同家族を含めると医療ニーズは多様かつ複雑化する。既往症や妊娠・出産、不妊治療、小児健診、さらには環境変化に伴うメンタルヘルスのニーズも生じる。これらは現行の保険ではカバーされにくい項目であり、時に赴任者以上に帯同家族が頻繁かつ切実にサポートを必要とする分野である。

駐在員のなり手不足が指摘される中、帯同家族の健康管理とサポート強化は今後、企業の重要な課題として位置づけられ、積極的に推進されるべきである。企業がこの課題に真摯に向き合い、「グローバル医療保険」の活用を含めた包括的な医療保障体制を整備することが、グローバル人材の確保と持続的な企業成長に不可欠である。

著者
石井 玲子
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