「ROE 8%」のその先へ~「EPS」という選択肢~
25 9月 2026
日本企業において「ROE 8%」の達成が一定進む中、次なるステップである利益規模の拡大に向け、役員報酬の業績評価指標として「EPS(1株当たり当期純利益)」に着目。米国企業におけるEPSの普及背景や、弱点を補う相対TSRとの併用効果を整理し、特に高ROEかつ低PERの企業群に対し、EPS導入の検討を提言する。
1章: ROE(自己資本利益率)の限界
伊藤レポート(2014年8月)*1において、日本企業が目指すべき最低ラインとして「ROE(自己資本利益率) 8%」が提唱されてから早10年超が経過した。2025年度には、日経平均株価構成銘柄225社(以下、「日本トップ企業」という。)の42%(95社)が役員報酬の業績評価指標(KPI)にROEを導入*2、63%(141社)が実際に8%を超過*3していることを踏まえると、資本コストに対する意識づけという目的は一定程度達成されたものと考えられる。
それでは、自社のROEが株主資本コストを安定的に上回るようになってからも、更なる向上を目指し続けるべきだろうか? ROEは当期純利益を自己資本で除した指標であるため、際限ない引上げは分母である自己資本の縮減・抑制を目的とした過剰な資産売却・投資抑制を誘引し、長期的な企業価値向上を妨げる恐れがある。そこで筆者は、ROEが株主資本コストを安定して上回るようになった企業においては、資本効率性の向上のみならず、利益規模の拡大にも目を向けることを提案したい。
2章:EPS(1株当たり当期純利益)という選択肢
利益規模の拡大を目指すに当たって、どのようなKPIを採用すべきだろうか? コーポレートガバナンスの先進国である米国の状況を見てみよう。同国の時価総額トップ200社(以下、「米国トップ企業」という。)における長期インセンティブ報酬(LTI)のKPIで、採用率1位は株価関連指標の相対TSR(株主総利回り)で80%、2位は利益指標のEPS(1株当たり当期純利益)で34%である*4。後者のEPSは当期純利益を発行済株式総数で除した指標であり、ROEと同じく当期純利益を分子に採るものの、ROEが資本効率性を計測するのに対して、EPSは株主に割り当てられる最終的な利益額を計測する。
それではなぜ、米国ではEPSがKPIとして広く普及しているのか、投資家・企業それぞれの視点から整理する。まず投資家にとって、EPSの上昇は配当及び自社株買いの原資拡大を意味する。加えて、株価=PER×EPSで計算されるため、仮にPER(株価純利益倍率)が一定であってもEPSが上昇すれば株価上昇に繋がることから、インカム/キャピタルゲイン双方の観点から望ましい。次に企業にとって、EPSの引上げには分母である発行済株式総数の縮減が効果的である中、その有力な手段である自社株買いの効果は、配当と異なり一過的な株主還元に留まらない。つまり、一度減少した発行済株式総数は新株発行等をしない限り増えないため、翌年以降も効果が持続する。従って、EPSの上昇を目指すことは、投資家・企業双方にとってメリットがあるものと考えられる。
3章:EPSの弱点及び相対TSRとの相互補完
当然ながら、EPSにも弱点は存在する。前述の通りEPSの引上げには、分母である発行済株式総数の縮減が効果的なため、成長投資に回すべき資金までも自社株買いの原資に充当することを動機づけてしまい、将来的な企業価値の毀損を招く恐れがある。
この弱点を補う指標が、前述した米国トップ企業で最も採用率の高いLTI用KPIである相対TSRである。改めて説明すると、TSR(=(終点の株価+配当総額)÷始点の株価)を特定のインデックス又は競合他社と比較するものであり、「究極の株主還元指標」とも言える。EPSを相対TSRと併用する場合、成長投資を犠牲にした過剰な自社株買いを行うと、市場からの成長期待が剥落して株価ひいては相対TSRの低迷を招く。つまり、相対TSRには過剰な自社株買いを抑止する効果が期待されていると言える。
一方、相対TSRは財務指標と比べて経営陣のコントロールが利きにくい株価の上昇幅(及び配当の合算)を、同じくコントロールが利きにくいインデックス又は他社と比較するという、二重の意味でコントロールしにくい性質を持つことから、経営陣にとって手触り感の得づらい指標とも言える。逆に、EPSは自社の利益創出(分子)及び資本政策(分母)が直接的に反映される点で、より手触り感が得やすい。
これら成長期待・手触り感それぞれの観点を踏まえると、EPSと相対TSRは相互補完的な関係を構築すると言える。実際に、前述の統計から米国トップ企業のうち少なくとも14%(=80%+34%-100%)の企業が併用している。
4章:EPS導入を検討すべき企業
前述の通りKPIとしてのEPSの導入は、投資家・企業双方にとってメリットがあるものの、筆者としては必ずしも全ての企業が導入を検討すべきものではなく、各社の成長フェーズ及び足元の資本効率性を踏まえて検討すべきものであると考える。
以下、横軸にROE、縦軸に市場からの成長期待を反映するPERを採った4象限マトリクスを用いて整理したい。
筆者としては、ROEが株主資本コストを上回り、PERが同業界内で相対的に低い右下の象限(クオリティ・バリュー)に分類される企業において、最優先で導入検討されるべきと考える。この象限の企業は、株主資本コストを上回る高位安定的なROEを実現しているため、資本効率性のみならず利益規模の拡大にも目を向ける余力がある。また、市場から過度な成長期待を寄せられておらず、新株発行を伴うほどの大規模な成長投資が求められるわけでもないため、事業で稼いだキャッシュの一部を自社株買い等による株主還元に充当し得る。以上2つの観点から、クオリティ・バリューに分類される企業においては、EPSが有力な選択肢になるものと考えられる。
日本トップ企業では、2025年度のLTI用KPIとしてのEPSの採用率はわずか5%(12社)*2に留まっており、米国トップ企業の34%とは大きな隔たりがある。この背景には、日本では資本コストに対する意識づけが先行したことがあると考えられる。一方で、日本トップ企業の63%がROE 8%を超過している現状を踏まえると、日本企業のうち一定数はクオリティ・バリューに位置づけられると推察される。これら企業においては、KPIとしてのEPSの導入を検討されてはいかがだろうか?
本稿が、自社のフェーズに照らした適切なKPIについて、改めて議論する契機となれば幸いである。
*2:各社有価証券報告書(各社直近年度末日)
*3:SPEEDA(各社直近年度末日)
*4:Meridian Compensation Partners「2025 Corporate Governance & Incentive Design Survey」2025年10月16日